「ダンナさんは一言で言うとどんな人ですか?」
と聞かれたら
「悲壮感のない人」
そういうおおらかなイメージがまず浮かんでくる。
「せかず急がず、この子はもう!」
と、つい先だって亡くなった彼のお母さんもよく呆れていた。彼がどんな時も悠長に構えているので。
お義母さんは対極のせっかちな人で、「今と思えば今」な人だった。例えば、お母さんが亡くなる5年も前に渡された「遺言書」。お義母さんはまだまだピンピンしていた。お義母さんは夫にその封筒を渡し、彼から私にも見せるように言った。
それからほとんど毎日、近所に住んでいたからちょこちょこ出会うお義母さんに
「もう遺言書見たか」と
聞かれる。しんき 草太郎からは何も見せられてないので
「まだふくちゃんが持ってるー」
と言うしかない。
10日ばかりそれが続くとお義母さんはとうとう業を煮やして、日曜の朝、うちにやって来て、夫に
「あんた!はよう見せなはれ!」
夫は「しゃあないな」と頭をかきながら、問題の封筒を出してきて私に手渡す。果たして読んでみると、まったく何の緊急性もない手紙だった、ということもあった。
彼はのんびりしている。実際彼がせわしなくしているのをあまり見たことがない。
その雰囲気は、さしずめ赤穂のご家老大石内蔵助が、いったい何を考えているんだか、なかなか重い腰を上げない大物のご登場という感じで、気の急く人はハラハラいらいらする。
でもこの、どっしり構えたゆる~い感じ、悲壮感のない感じは、あたふたしがちな周りの人を安心させる好ましい波動を生み出す。
この選挙戦、候補者である夫は誰よりものっしり落ち着いているように見えた。風邪をひくことも声を枯らすこともなく、いつも余裕と元気いっぱい、宣伝カーに飛び乗っていた。
ある時は宣伝中にマイクの音が出ないというハプニングがあっても、彼は慌てることなく、自声で実に半時間、街頭で訴え続けた。マイクも要らないような大きな声で、ビラを撒きながら道行く人に語りかけていた。
声がのびやかな人は性格ものびやかなんだろうか。性格がのびやかだと声がのびやかになるんだろうか。
彼と話していると
「大丈夫。何とかなる。あわてないあわてない。ひと休みひと休み」
と大舟に乗った気持ちになるから不思議だ。
選挙戦も本当に最後まで来た。
そろそろ、とんがった声をあげて名前を連呼する候補者も出てきそうだが、我らが市民の候補者はそういった悲壮感とは無縁だ。
ふくちゃんは市民の後押しを自信に変えて、相変わらず訴えるべき政策をあちこちで語り、制限時間いっぱい冷たい風の中を走り抜ける。
たくさんの人がふくちゃんの政策に賛同し、彼といっしょにマニフェストを練り上げた。「宝石箱のような」マニフェストを手にふくちゃんは市政に挑戦する。
悲壮感がなくったって
きっと緊張はしているだろう。
責任は重大だから。
たくさんの市民の願いを集めて
市民の暮らしを応援する市政に舵をきれるかーこの戦いは善戦ではダメなのだ。
悲壮感なくとも、ここ数日相方はそこここで気迫の訴えをしている。
流れてくる動画を見る私のそばで子どもたちはゲームをしていたり、テレビを見ていたり。でも
「お父さん、通ってほしいな」
時々チビがつぶやく。
悲壮感のないお父さんのおかげで
あまり目立ってピリピリもしない
一見「普通の」生活。でもやはりこれは非日常。子どもらだって緊張状態にあるだろう。
家族はこの「非日常」に終わりが来るのを知っているけど、いつまでも走っていたいような、やっぱり早く結果を知りたいような。その時にはため息ではなく、歓喜の声をあげる用意をしながら、イヤイヤイヤとまたニュートラルに戻る。
そうやって
揺れつつ
揺れつつ
過ごしたこの3ヶ月。
泣いても笑っても日曜日には決着がつく。
明くる3日は節分だから
「鬼は外福は内」
と元気よく
市民の暮らしを必死のパッチで応援する人に市庁舎の内に入ってもらいましょう!
お友だちのお寿司やさんから恵方巻を届けてもらう段取りなどして、節分は確実に近づいている。
こんなに複雑な気持ちで節分のことを意識したことはない。
鬼は外福は内
どうかいい結果が出ますように。
鬼は外福は内
福は内、なんだよ!
これは京都市長選に出馬を表明している福山和人弁護士のパートナーおかねともこ(イラストレーター)が、「家族の目から見たふくちゃん」を綴ったエッセイです。
2018年府知事選のときの「ふくふく家族」と同様、リラックスしてお楽しみください。
前回のシリーズはこちら→http://www.fukuyamakazuhito.jp/fukufukufamily

