ちょうど大学院の最終学期が始まった週に30年来の友人が亡くなりました。
ガンの宣告を受けて3週間という驚くべき早さでした。
先月は自身のコロナ療養で、周りを見る余裕がなかった母。
年明けにこのような知らせを聞き、とにかく今日という一日を友人が心穏やかに過ごせるよう祈るばかりの時間でした。
それから少ししてまさかの別れ。
こんなに早く会えなくなるとは思ってもみませんでした。
友人がいなくなったこの世界。
母にとって時間は止まったかのようでも、朝になれば仕事に向かわなければならないし、夜になれば大学院の課題が待っています。
残念ながら、心は止まっていても、時間は止まらないのだと痛感させられています。
そんな中、ポストで見つけた1つの封筒。
10年前、このブログを通じて知り合ったモンテッソーリアンの友人からでした。
実は友人と言っても、一度もお会いしたことはありません。
けれども、この10年、事あるごとに連絡を取り合い、いつも心の支えとなってくださっている方です。
『最後のおいこみ、卒論がんばってください』
の文字に、大粒の涙が溢れた瞬間でした。
友人の旅立ちの知らせを聞いても、茫然としただけで、涙も出なかったのに。
抑えていた感情が、誰かの優しさに触れた瞬間、解放された時間でした。
溜め込んでいた感情が放出されると、少しずつ論理的に考えることが出来るようになると、気付きました。
いつも一緒にいることが当たり前だった友人。
でも、この訃報を聞いた共通の友人達から未だ鳴りやまない連絡の数を考えると、短命であっても、この友人が周りの人々にもたらした影響は計り知れないと少しずつ受け入れ始めています。
人生には、いつの時代も不測の事態はつきもの。
でも、やるべきことがあるというのは幸せなこと。
自分が進もうとしなくても、自然と進んでいる自分にホッとしています。
こうして今日も明日も周りの人に支えられて生きているのだと改めて感じています。
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