「出来ないこと」への愛おしさ♡ | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

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中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

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小4娘の『2歳からのホームモンテッソーリ♡ときどき英語』。
よろしければ自己紹介もご覧ください。 
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以前、娘は「フライパンの取っ手が苦手」という記事を書いたことがあります。

この取っ手と並行して、もう一つ苦手なものを挙げるとすると…。

 

傘の開閉。

 

傘の種類にもよるのですが、最近、また傘で手を挟みました^^;

 

こんな日々の一幕から、算数のおしごと、英語のエッセイの宿題などの学びの時間まで。

彼女の日常には沢山の不完全が溢れています。

 

チェッカーボードで大きなかけ算をやってみるも、気付くと「あれれ」。

エッセイを意気込んで提出しても、まだまだ無くならない赤色の添削文字。

 

これらの日々の「完璧でない状態」が、母に、日々娘との学びの方向を教えてくれます。

 

幼児期から、おしごとの手順を1つ間違えると、その場で訂正したくなる衝動に駆られた日々。

 

モンテッソーリの「教えながら、教えなさい」の意味がなかなか自分のものとして落とし込めず、事態はどんどん悪い方向へ。一生懸命やっているところを訂正され、心を閉ざす我が子を見た時、いつも後悔の念に駆られるばかりでした。

 

その場で、訂正することに飛びつくのではなく、どこに苦手意識を感じているのか。

そして、この苦手意識とは子どもの問題ではなく、自分の提示の未熟さゆえということを理解するまでに、かなりの時間を要しました。

 

未だに傘で手を挟むのは、母の提示の仕方がクリアーでないから。

算数のおしごとも、文法のおしごとも、きっとまだまだ足りていないということなのでしょう。

 

一度で出来ると素通りしてしまうことが、一度立ち止まることによって、深く学べるチャンスになる。

だからこそ、母の恩師であるモンテッソーリアンの言葉「間違いはゴールデン」ということに繋がるのでしょう。

 

今日もまた、完璧でない状態が、私たち親子を成長させてくれています。

そう思うと、この「不完全さ」がとてつもなく愛おしく感じてくるから不思議です♡

 

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