![ドット](https://emoji.ameba.jp/img/user/pi/pinoda/784450.gif)
![ドット](https://emoji.ameba.jp/img/user/pi/pinoda/784450.gif)
![ドット](https://emoji.ameba.jp/img/user/pi/pinoda/784450.gif)
![ドット](https://emoji.ameba.jp/img/user/pi/pinoda/784450.gif)
![ドット](https://emoji.ameba.jp/img/user/pi/pinoda/784450.gif)
![ドット](https://emoji.ameba.jp/img/user/pi/pinoda/784450.gif)
![ドット](https://emoji.ameba.jp/img/user/pi/pinoda/784450.gif)
![ドット](https://emoji.ameba.jp/img/user/pi/pinoda/784450.gif)
以前、娘は「フライパンの取っ手が苦手」という記事を書いたことがあります。
この取っ手と並行して、もう一つ苦手なものを挙げるとすると…。
傘の開閉。
傘の種類にもよるのですが、最近、また傘で手を挟みました^^;
こんな日々の一幕から、算数のおしごと、英語のエッセイの宿題などの学びの時間まで。
彼女の日常には沢山の不完全が溢れています。
チェッカーボードで大きなかけ算をやってみるも、気付くと「あれれ」。
エッセイを意気込んで提出しても、まだまだ無くならない赤色の添削文字。
これらの日々の「完璧でない状態」が、母に、日々娘との学びの方向を教えてくれます。
幼児期から、おしごとの手順を1つ間違えると、その場で訂正したくなる衝動に駆られた日々。
モンテッソーリの「教えながら、教えなさい」の意味がなかなか自分のものとして落とし込めず、事態はどんどん悪い方向へ。一生懸命やっているところを訂正され、心を閉ざす我が子を見た時、いつも後悔の念に駆られるばかりでした。
その場で、訂正することに飛びつくのではなく、どこに苦手意識を感じているのか。
そして、この苦手意識とは子どもの問題ではなく、自分の提示の未熟さゆえということを理解するまでに、かなりの時間を要しました。
未だに傘で手を挟むのは、母の提示の仕方がクリアーでないから。
算数のおしごとも、文法のおしごとも、きっとまだまだ足りていないということなのでしょう。
一度で出来ると素通りしてしまうことが、一度立ち止まることによって、深く学べるチャンスになる。
だからこそ、母の恩師であるモンテッソーリアンの言葉「間違いはゴールデン」ということに繋がるのでしょう。
今日もまた、完璧でない状態が、私たち親子を成長させてくれています。
そう思うと、この「不完全さ」がとてつもなく愛おしく感じてくるから不思議です♡
ご訪問、誠にありがとうございます