小4娘の『2歳からのホームモンテッソーリ♡ときどき英語』。
よろしければ自己紹介もご覧ください。
衝撃的なタイトルを付けてみました(笑)。
「モンテッソーリ教育に向かないお母さん」
過去に、「モンテッソーリ園に合わない子ども!?」という記事を綴ったことがありますが、今日はそのお母さんバージョン。
モンテッソーリ教育に向かないお母さんはいるのでしょうか。
もしいるのだとしたら、それは自分自身だったと思います。
イヤイヤ期の娘とどう接したらいいか分からず、何かヒントを得られないかと躍起になっていたあの頃。
モンテッソーリ教育を知り、手当たり次第書籍を読み漁り、ブログを見て、モンテッソーリ園探しも始めました。
知れば知るほど、さらに知りたくなるこの教育法。
けれども、知識を得れば得るほど、全体像がさらに見えなくなる、そんな印象も受けました。
書籍に書かれた子ども像とは、まるでかけ離れていた我が子。
おしごとを準備しても見向きもしない、集中現象なんてとんでもない、モンテッソーリ教育を知ったことで、現実とのギャップに苦しむ時期が続きました。
バイブルであるはずの松浦先生のこの言葉に何度触れても、疑心暗鬼になっていた当時。
「モンテッソーリなんて知らなければ良かった。」
そう思ったことも一度や二度ではありません。
とにかく、何でもいいから手ごたえが欲しかったあの頃。
結果だけを急いでいたのです。
モンテッソーリ教育とは、「インスタント」や「ファスト」という「短時間」「時短」が求められる今の世の中とは逆行している教育と言えるかもしれません。ぱっと画面が切り替わり、いつでも子どもの興味を惹きつけるテレビ映像のようなエンターテイメントとは異なり、おしごとの時間はゆったりと日常生活とは違う速度で時間が流れます。親にとっても子にとっても忍耐力が試される。少なくとも我が家においては、それがモンテッソーリ教育でした。
何でもその場で手に入れないと気が済まない性分だったあの頃。
モンテッソーリ教育を知り、本当に価値あるものは、それほど簡単に手に入らないことも知りました。
モンテッソーリ教育とは結果ではなくプロセス。
子どもたちと共に時間を過ごしながら、どのように触れ合い、どのように援助していくか。
そんな一つ一つを繰り返しながら、親の方も我が子との接し方が少しずつ洗練されていくものなのだと、8年経った今だからこそ感じます。
上手くいったこと、いかなかったこと。
このプロセスがすべてホームモンテッソーリの糧になる。
モンテッソーリ教育に向かなかったお母さんも、ちょっぴり成長したのかもしれません^^;
ご訪問、誠にありがとうございます