エッセイライティングと誤りの自己訂正 | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

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中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

 

モンテッソーリ教育がこれほどまでに心地が良いと感じられる理由の一つに「誤りの自己訂正」と呼ばれるものがあります。子どもが失敗したときに、大人が注意をして訂正させるのではなく、子ども自らが失敗に気付き、自ら訂正するというもの。モンテッソーリの教具には、この「自己訂正」ができる要素が詰まっています。
 
「誤り=失敗」と捉えていた母の子ども時代。親戚の家で派手に牛乳をこぼしてしまった経験がトラウマとなり、それ以来「注ぐ」という行為に恐怖を抱いていた時期が続きました。あの時、もしモンテッソーリ教育を知っていたら、そんなマイナスの感情と向き合う必要もなく、もっといろいろなことに自信が持てたのではないかと感じます。
 
布巾とセットで「あけ移し」のおしごとを楽しんできた娘は、こぼしても誰に言われることなく拭けばいいだけ。まさに、「誤りの自己訂正」です。幼児期は、こんな「おしごと」を通じてたくさんの「誤りの自己訂正」を経験してきた娘ですが、小学校に入学してからも、様々な部分でこれを引き続き経験しています。
 
例えば、保持教室の宿題となるエッセイ。毎週、習った語彙や表現を使用して書くライティングの宿題ですが、さすがに4年もこのスタイルを続けていると、自分の文法的なミスのパターンは分かっていますコントロールチャートと呼ばれる、「誤りの自己訂正」ができるリストを用意し、果たしてそれらがすべてクリアしているか、書き終えた後のチェックを自分で行います。例えば「3単元のS」「時制」「スペリング」といった具合です。
 
そういえば、アメリカで大学1年生のCompositionのクラスを教える友人が、やはり同じ手法を用いていることを思い出しました。
 
「ミスを直すのは簡単だけれど、直してあげちゃうと、また同じミスをするようになるから。」
 
自分自身で気付いてもらうために、リストを渡しているとのことでした。受け身ではなく、まずは自分自身が感じること。このプロセスの繰り返しが、自らを成長させるために必要なのだと改めて感じます。
 
モンテッソーリ教育を知るまでは、親の役目は、失敗をさせないために先回りをすることだと盲目的に信じていた母。けれども、それは大きなチャンスを奪っていることだと、この教育法を知り気づきました。
 
「失敗こそがゴールデン」
 
このブログに何度も書き続けてきたこの言葉が、今日もまた母の中でこだましています。
 

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