「ママ、あのおばあさん、すごく荷物が重そうだね。誰か手伝ってあげればいいのに。」
とあるコーヒーショップの窓越しに見えた光景。
英会話のレッスン前に急いで軽食を頂いている最中のことでした。
もしあの時、娘は急いでいなかったら声をかけに外に出たでしょうか。
果たして彼女にそれほどの勇気があるのか分かりませんが、そんな光景に気付けるようになっただけでも、少しずつ心の中で平和が根付き始めたのかな…と感じています。
平和の実践が掲げられているコスミック教育。
モンテッソーリスクールの子どもたちは、日々の活動を通じて、平和を愛し理解するピースメーカーとなるべくスキルを獲得していきます。これらの一つ一つの努力が、世界を違った世界へと導くことができると、モンテッソーリ教師たちは知っているからです。
我が家においても、「平和」について考える機会を少しずつ取り入れてきました。言葉ではどうしても流れてしまうため、娘に綴ってもらおうと、手作りのハンドアウトを用意することもあります。
この日のトピックは『Think about peace(平和について考える)』。
実はこのトピックに関しては、小学校入学前から定期的に触れてきました。
幼少期は、娘にとっての平和とはお友達と仲良くすること。
9歳となった今は、世界平和を願う気持ちがますます強くなっているようです。
特にアフリカ平和の定着への関心が高く、これまでの取り組み、これから必要なイニシアティブなど、学んでいきたいことは山のようにあるといいます。
そんなディスカッションの後の、この日の1番のハイライトは、こちら。
「どんな時に一番心の平和を感じる?」という問いに対し、娘の書いた答えは…。
『ママが怒ってないとき』
我が子ながら、洞察力の高さに脱帽(笑)。
また反省材料が一つ増えました。
かつては、このような取り組みをなぜわざわざ取り組みとして行なうのか理解に苦しんだ母。日々流れてくるニュースが自然と食卓の話題になることもあれば、親子の会話になることもある。でも、敢えて「おしごと」とする理由はどこにあるのか。そんなことをチューターに尋ねたことがあります。
「これは、まさに困難性の孤立化ね。ほら、思い出してみて。一度に沢山の困難があると子どもは嫌になるでしょ。幼児期に着衣枠を学んだ時のように、日常生活に埋もれがちなポイント(困難)を一つだけ取り出してあげて、そこに集中しやすくするための援助をするの。だから、日常生活の中から取り出して、敢えて「平和」について考える時間を設けることは非常に大切。」
9歳の今考える平和が、これからどのように変化していくのか、もしくはしないのか今の母には分かりません。けれども、大切なのは日々実践すること。
母はまず、怒らない努力をしたいと思います(笑)。