5年前にも同じタイトルでブログ記事を書いたことがあります。
娘のアニメ遍歴はアンパンマンから始まり、プリキュア、そしてアイカツ。まだ、モンテッソーリ教育の学習を始めてまもなかった当時は、モンテッソーリ教育においてファンタジーが推奨されていないと知り、困惑したものでした。
娘が、これほど好きなのに、取り上げることなんてできない。
当時は、写真のようなおしごとも作成したりしていました。
でも、学習を進めていくと、
「アイカツのカード集めをしちゃいけない」
「プリキュアのついたアイテムを買ってはいけない」
母が当時、真剣に悩んだそんな日常のひとコマの話をしている訳ではなく、もっと大きな意味での話であるということに気付き始めました。そして、母がお世話になった教師養成講座のモンテッソーリアンたちは、誰一人として排除を勧めた人もいませんでした。
それよりは、モンテッソーリの意味する「ファンタジー」を理解し、もっと大きな視点で捉えること。排除ではなく、世の中にはまだ見ぬ魅力的な「本物」が数え切れないほど存在していること。
そんなことを頭の片隅に入れて過ごした幼児期。
小学生になり、最近ますますこの「モンテッソーリ教育とファンタジー」について考えることが多くなりました。そして幼児期には気付かなかった視点をも感じるようになってきました。
現在の娘の小学生生活を支えているのは「想像力」。
これに尽きると感じています。
目に見えないものを想像する力。
彼女のがモンテッソーリ教育のコスミック教育に触れてから、今までこれほどまでに興味を持ち続けているのは、この「想像力」を日々働かせているからでしょう。だけど、想像するためには、ベースとなる「本物」が必要であり、その本物を見てきたから、想像の世界へと自分自身を誘うことが出来るのだと感じています。
幼児の頃初めて触れた金ビーズで「1」を知り、「1,000」を知った娘。1,000円というお金がどれほど高価であるかということも知っています。だから、その先の単位の想像することも容易なのでしょう。サンタさんからもらった顕微鏡でミクロの世界へ飛び込もうとしている彼女を見ると、ここでも本物をベースとした想像力がある程度育ってきたからだと感じます。
幼児期には、表面上の意味としてしか理解することができなかった「本物の持つ力」。これが、小学生以降の想像力へのベースとなっていくことに気付いていたら…と感じてしまうこともしばしば。
モンテッソーリ教育の本質を理解することへの難しさを感じながら、モンテッソーリ女史の言葉に感謝する毎日です。
ご訪問、誠にありがとうございます