最近は保持教室だけでなく、英会話のプライベートレッスンでもライティングの宿題が課されます。日々のジャーナル以外にも、あらかじめトピックが出され、それについてエッセイを書いてくるというもの。
あまり指示を出さず、娘の思うままに書かせて来ましたが、最近娘の中で変化がありました。
「先生に直されたくない」
そんな気持ちが湧き上がりつつあるようです。
初めのうちは、書き方云々より、トピックに対し、あまりにも個人的なストーリーを展開し、一般論という概念を全く持ち合わせていない様子でした。この辺りはまだ幼さがそうさせているのだと口を挟まず見守ってきた母ですが、どうやらお教室で先生から指導を受けてる様子。
今までは、先生が毎週返却してくださる添削済みのエッセイは、一通り読んで終わっていたのが、最近はこの添削を何度も何度も目を通し、どうして直されたのか、自分なりに解析を試みようとしています。
「この時期の子どもは物事の細部まで知りたがる。」
エレメンタリーのモンテッソーリ教師養成講座にて、よく目にする一文。特に6歳から9歳においては、この傾向が強いと言います。そのため、言語教育では、英語ネイティヴでも母語だからと言って、感覚的に文法を身につけるのではなく、あらゆる場面で「解析」が展開します。
特にノンネイティヴには間違えやすい英語の冠詞、単数・複数形など、小学校低学年の子どもたちにも理解しやすいよう具体物を用意して、一つずつ英語という言語を紐解いていくのがモンテッソーリの言語教育。まさに、この辺りは娘にも必要な部分です。今までなんとなく感覚的に身につけてきたものへの、説明を要するようになってきました。
特にライティングにおいては、ネイティヴの先生からの添削は、宝だと感じています。先生が書き直してくださるリライト文とコメントを何度も何度も読み返し、消化していくという作業。どこか6歳にはまだ不要のような気がしていましたが、毎週添削部分が減ってきたことに、大きな満足感を感じている様子の娘。
言語的な部分だけでなく、精神的な成長という部分においても、案外必要な作業なのかもしれません。
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