葛藤と決断 その2 | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

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葛藤と決断 という記事を綴ってから、エレメンタリーのマニュアルを読み進めています。家ではマニュアルを、外ではPDF化したものをiPadで。そして、このコピーは語彙の意味を書き込んだり、アンダーラインを引いたり、ちょっとしたメモをしたり。あれほど進まなかったエレメンタリーのマニュアルですが、気付いたら、もうこんな量になっていて驚き。やはり提出期限のある課題が目の前にぶら下がると、一気に走りだすことができるものだと実感しました。

そして、この期間の間に気付いたことがもう一つ。

それは、今の自分にはエレメンタリーの受講は時期尚早だということ。

来年、小学校入学を迎える娘の年齢を考えると、この1年をエレメンタリーの学習に費やすことは非常に有効的だと考えていたものの、それは至って浅はかな考えであったことを思い知らされました。

最初は、エレメンタリーを知ることで、一気にモンテッソーリ教育が見えてきたかの錯覚に陥りました。今まで何度も耳にしたコスミック教育がどのようなものであるかを知ることは、マリア・モンテッソーリ自身を知ることへの足がかりになるような気がしていました。

けれども、実際はそんなに簡単ではないことに気づくのに、時間は必要ありませんでした。エレメンタリーの世界に突入すればするほど、モンテッソーリ教育がかすんでいく。ぼんやりしたままのものが、ずっとずっとぼんやりしたまま、続いていく。そんな印象を受けました。

「モンテッソーリ教育を知るということは、モンテッソーリ・メソッドを知ることではない。モンテッソーリのメッセージを知ること。」

以前読んだベテランモンテッソーリアンの先生の言葉が蘇ってきました。3歳~6歳の頃は、提示の手順を覚え、練習をし、娘に実際提示をしてみる。そんな日々が中心だった気がします。けれども、この「メソッド」の部分にばかり気を取られ、「メッセージ」の部分は果たしてどれほど受け取ることができているのか。

きっとこのままエレメンタリーの受講を続けて、課題も期限内にすべて提出できれば、来年には晴れてエレメンタリーのディプロマも取得できたかもしれません。けれども、仮にそれが手に入れられても、今の母には何の効力もありません。モンテッソーリ教育と存分に向き合ってきた自負がない以上、それはただの紙切れ同然。

NAMCにキャンセルを申し出ると、「準備ができた時には、いつでも戻ってきて欲しい」。そんな温かいメッセージをいただきました。

もう一度初心に戻り、一からモンテッソーリ教育と向き合おうと思います。もしかすると中途半端に知ってしまった分、0からの出発よりも難しいかもしれません。

新たなMontessori Journeyのスタートです。


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