モンテッソーリの教具熱 | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

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いただくメッセージの中に、教具を購入したいけれど、どれを購入すれば分からない。モンテッソーリ園に通っているけれど、家では教具を置くべきでないのか。教具を購入する前に、理論を学習しなければならないのか。

そんな「教具」に関するご質問をいただくことがあります。NAMCのディプロマコースを受講していた頃は、学習すればするほど母自身が教具を触ってみたく、その頃の教具熱といったらひどいものでした(笑)。だからこその、こんな空間。この後、こんな低い棚どうするんだろうと不安になる我が家の教具棚ですが(・・;)

幸いなことに、譲り受けた教具もあったのですが、現在進行形の算数教育は海外のモンテッソーリショップにて一式購入。将来子どもの家などを開く予定も一切ない我が家にとって、使う子どもは娘一人だと考えると、相当な投資でした。中には、非常に使用する期間が短いものもあり、場合によっては、触らずに敏感期が過ぎ去ってしまったものもあります。そんな状況に陥るたびに、どこか残念な気持ちになってしまい、いかに自分が教具への期待が大きく、また教具さえあれば万能といった間違った理解をしていたことに気付かされます。

日本モンテッソーリ協会の最新学会誌にも出てきた、マッケローニ著「モンテッソーリ博士との出会い (1979年) 」からの引用文。


飛行機は少し、車輪で地面を滑走してから離陸し、長い飛行に移ります。教具はこの短い滑走に当たるのです。…長い飛行は、子供がそれまでに習得した新しい能力に当たるのです。同じ教具を繰り返し繰り返し使用するのは、習得への一過程であって、ただ機械的に繰り返しているのでも、進まないで止まっているのでもないのです。それは飛ぶための滑走なのです。教具は潜在的な力を引っぱり出すもので、「それ以上のことをするために私に頼りなさい」ということを意味するのではありません。

教師養成講座でも学習した言葉ですが、まさにモンテッソーリ自身が教具をどのような位置づけと考えていたのか、この言葉に集約されていると感じます。ついついモンテッソーリ教育と言うと、教具にまず目がいってしまいますが、環境の中心が子どもであることは言うまでもありません。

頭では分かっていても、長いことそれを受け入れることが出来なかった母。言葉をかえれば、教具に支配されていた時間が長かったと言えるでしょう。けれども、娘が本当の意味で、教具を純粋に楽しみ、上手く交わることが出来るようになったのは、母自身がこの誤った感情から解き放たれてからだったと思います。

数の敏感期が来てから随分時間が経った娘ですが、長いこと算数棒と関わった後、自然とこの教具に触れることはなくなりました。まさに滑走路から飛び立ち、新たな飛行が始まったのでしょう。

「短い滑走に当たる教具」だけにとらわれることなく、子ども自身をしっかりと見つめていかなければならないと改めて感じる日々。お世話になった教具に感謝しながら、もう一度、地に足をつけエレメンタリーに向けて、新たな環境作りをそろそろスタートさせたいと思います。


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