子どもの世界を生きる | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

先日も少し触れましたが、最近姉妹ブログの更新頻度を上げたことで、思わぬ副産物がありました。それは、モンテッソーリ教育を全く知らなかった英語育児を実践中の方たちから、モンテッソーリ教育に興味が出てきたとのメッセージを頂けたこと。

けれども、一気に全容が掴めないこの教育法について聞かれると、ついつい言葉に詰まってしまうことがあります。「自立」や「自律」といったキーワードを述べてみても、あまりにも抽象的すぎて、全く理解が得られない。かつての母も、そんな一人でした。

モンテッソーリ・メソッドやモンテッソーリ教育という理論云々は後回しにして、もし自分の言葉でこの教育法の魅力を述べるとしたら、「子どもの世界を生きる」ことができる点だと感じています。

いや、実際にはまだまだ生きているだなんて口が裂けても言えないでしょう(笑)。でも、この教育法と出会ったおかげで、ちょっぴり覗くことができていることは事実だと思います。

もし、モンテッソーリ教育に出会わなければ、きっと子ども用のピッチャー以前に踏み台すら用意したか分からない我が家^^;別に届かなければ届かないで、大人がやってあげればいいんだから、何も不自由ないでしょ?そんな風に考えていたかもしれません。

先日、籐のバスケットが欲しくてあるお店に入りました。とても素敵なバスケットが目に入ったのですが、それが陳列してあったのは、母の背では届かない位置。店員さんに一言声をかければ、すぐに取ってくださったのでしょうが、手を煩わせてもし購入しなかったら申し訳ないし・・・そんなことを考え、結局このバスケットは触れることなしに、縁なく終了してしまいました。

娘用の踏み台を用意して、一気に彼女の世界は広くなりました。親の手を煩わせることなしに、自分でできることが増え、その分笑みも増えたのではないかと思います。もし、あの時用意をしてあげなかったら、きっと母とこのバスケットのような結果に終わることも多かったのではないかと想像しています。

そして、子ども用のピッチャー。別に、ピッチャーが重くて注げないなら、注げる年齢になるのを待って注げば良い。汚されたくないし。かつての鬼母の心の声です(笑)。それでも、子どもは注いでみたい。まだまだ力のない子どもにとって、大人用のピッチャーから注ぐという作業は、10キロのお米を米びつに移すときのような力仕事なのでしょう。

いつも飾ってある置物が、別の場所に移動していた時。泣いて抗議をした2歳の娘。「ただ、こっちからこっちに動かしただけで、なんでそんな癇癪を起こすの?」秩序の敏感期にいる子どもには、大人にとっては何も感じないことが、まるで自分の部屋に泥棒が入ったかのような状態に陥っていると知った時、子どもにとって安心できる空間を作ることがいかに大切かを知りました。

・・・こんな小さなことでも、知っているだけで、子どもの世界をちょっぴり覗ける気がするのです。モンテッソーリ園が近くになくても、教具がなくても、教師養成講座を受講していなくても。図書館にあるモンテッソーリ教育関連の書籍を1冊でも手にされたら、きっと今まで生きていた世界とは違った世界が見えるのではないかと感じています。

そんなことを書きながら、ふと本が読みたくなった深夜です^^;

姉妹ブログ「Yuzyな日々~今日も楽しく親子英語~」細々と更新中^^;

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