■3歳半で訪れた文字の敏感期
娘が文字に強い興味を示したのは3歳半を過ぎた頃でした。「絵カード合わせ」「砂文字板」「移動五十音」などのおしごとを通じて、文字と接する機会が増えたのもこの頃からでした。けれども、不思議だったのは、娘の場合読めるはずの文字を、いつまで経っても読もうとしなかったこと。町中で見かけた看板や駅名などは読むのですが、短い文章で構成された絵本は、与えても自分から積極的に読もうとすることはありませんでした。そのため、いつまで経っても和書に関しては自力読みではなく、読み聞かせ。
しかし、それとは逆に英語に関してはなぜか自分で読みたがる。日本語にはないフォニックスの概念が、どこかパズルを解いていくような感覚なのか、自分で推測しながら読もうとする姿勢は今でも変わりません。
・・・そんな状況の我が家でしたが、ここ数週間くらい娘の日本語の絵本に対するアプローチが変わってきました。急に自分で読み始めたのです。今まで溜めていたものを、急に吐き出すかのように、すごい勢いで出てきた自力読みに対する意欲。
■読むことよりも書くことが先行するモンテッソーリ教育
モンテッソーリ教育の文字指導では、一般的な考えとは異なり、「読む」ことよりも「書く」ことが先と考えられています。家を「い」「え」と拾い読みすることは「読む」という行為とは捉えられておらず、「いえ」と読んで「家」がイメージできて初めて読んだことになります。モンテッソーリの言葉を借りれば「読むとは、文字記号の助けによる思想の解釈」。音とイメージが結合して初めて読んだと、みなされるわけです。
自力読みを本格的にスタートさせた娘が一番最初に選んだ本は「(年中向け)こどものとも」の「アップリケのことり」でした。読み聞かせでも、まだ2度ほどしか行っていなかったこちらの本ですが、抑揚をつけ、登場人物はそれなりになりきったりして自分なりに消化をしていることに驚きました。彼女は、まさにモンテッソーリの意味した「読む」という行為がある程度できるようになるのを、待っていたのかもしれません。
本好きなお友達の中には、早い段階から、もっともっと語彙数も多い本をすらすらと読む子もたくさん。けれども、なかなか自力読みへと移ろうとしなかった娘を考えると、今回のことはサプライズでした。もしかすると、洋書の自力読みが、和書へも影響しているのかもしれません。
子どもの敏感期の到来は本当に面白いなと思います。親も子も、昨日までは全く知らなかった世界へ急に突入してしまうのですから・・・^^;そして、そこで見えてきた新たな世界での課題を、いかに楽しく子どもと取り組んでいくか。
これが、母にとってはおしごとを準備する上での最大の喜び♡
今後の言語活動が楽しみです。