誰かのためは誰かのせいでもある | 注文の多い蕎麦店

注文の多い蕎麦店

人間は何を食べて命を繋いできたのか?
純粋に生きるための料理を実践し
自然に回帰することで
人間本来の生活を取り戻します。


先日久々にMOROHAのアルバム聴いてたら
何ていう曲か忘れましたが。

家族のためにやめるってことは
家族のせいでやめるっていうことだよなあ

っていう歌詞がありまして。
まさしくその通りだと思ったんですが。

例えば大切な人のために今は我慢しますは

大切な人のせいで我慢しなければいけない

とも言えるのだし。

愛する人のために日々の生活を大切にします

っていうことは

愛する人のせいで夢を諦めなくちゃならない

とも言えるわけですね。
コロナ中のスローガンなんてまさしくそうで

大切な人の命を守るために今は自粛しましょうは

大切な人の命を守るせいで

やりたいことを我慢しなくちゃならない

ってことになるんですね。


だから誰かのためにっていうのは裏を返せば誰かのせいでっていうことなんだから。
それは結局誰のためにもならなくて
むしろ自分にも相手にも負担になるものなのかもしれませんね。

どうせなら全ての物事を自分のために集約してしまえば
裏を返しても結局は自分のせいになるだけなので。
どんな結果になろうが誰に責任転嫁するでもなく

自分自身でしっかり受けとめられるんじゃないでしょうか。

さっき部屋に入ってきたカメムシのせいで変な時間に目覚めてしまったのも

きっとカメムシのせいではなくて自分のためであるぼけー