歴史から消された悲運の天皇 | 注文の多い蕎麦店

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新天皇が即位されいよいよ今日から新しい時代の始まりです。

ところで日本の歴史の中で天皇に即位したにも関わらずその事実を抹殺されてしまった天皇がいるんですね。

 

それがここ京北にある常照皇寺を開山した光厳天皇です。
この光厳天皇は天皇と言う呼称こそ与えられてますが
実は歴代天皇125代(今日から126代)の中には含まれていないんですね。
その理由には鎌倉時代末期から南北朝時代の争乱のいざこざに巻き込まれた
悲運の時代背景があるのです。

光厳天皇が即位した西暦1331年という時代は両統迭立と呼ばれ
皇族内において持明院統と大覚寺統という二大派閥が交互に天皇に即位するように規定され。
内紛を避けるシステムが定着していたのですが。

光厳天皇は父親である持明院統後伏見天皇の最晩年の子供で皇位継承時には未だ生まれてなかったため
臨時的に弟である花園天皇の血筋に皇位が継承されることになるのですが。
ようやく1326年14歳のときに幕府の介入によって皇太子に即位することになったものの
この時の天皇で専制的傾向の強かった大覚寺統の後醍醐天皇が自分の子供を立太子させたいがために
一旦継承から外れた光厳天皇の即位を認めず。
持明院統に譲位することを拒んだんですね。


 

ところが1331年になって討幕の企てがバレてしまった後醍醐天皇は天皇の座を追われ
ついに光厳天皇が正式に天皇に即位することになります。
ようやく血統通り天皇のポジションを手に入れた光厳天皇ですが
その栄光の時はたった2年間で崩れ去ってしまいます。

1333年隠岐に流された後醍醐天皇の呼びかけに応じた足利尊氏が
京都の六波羅探題(京都守護を目的とした幕府の出先機関)を襲撃。
光厳天皇は父親や叔父とともに幕府の北条氏に匿われて現在の米原まで落ち延びるのですが
ここで敵方に進路を全て囲まれた北条氏一族432人が全て自決。
光厳天皇は天皇の証である三種の神器を没収されて幽閉されることになります。
そして政権に返り咲いた後醍醐天皇は光厳天皇が即位した2年間を全て

無かったことにしてしまうのです

その後一旦は現在の南朝方に継承された皇位ですが
北朝方に寝返った足利尊氏が後醍醐天皇方を討ち破って光厳天皇の院政が始まることになるのですが。
あくまでも光厳天皇は上皇の立場であって初代北朝天皇とは認められなかったんですね。

さらにその後北朝の権威の失墜を恐れた尊氏が再度南朝方に寝返ることにより
北朝は廃止されてしまうことになります。
結局天皇と言う名称を授かりながらも記録上は一度も皇位を継承したことのない光厳天皇は出家の道を選び。
晩年は世の喧騒を避けるかのようにここ京北の山奥で常照皇寺を開山。
そのままこの地で崩御されることになります。


 

正式な皇位継承の資格を持ちながらも後醍醐天皇のわがままや足利尊氏の二枚舌などに翻弄され
悲運の天皇が辿り着いたここ京北。
今年も京都市内の喧騒をよそに儚い世情の機微を密かに揶揄するかのように
ひっそりとそして華やかに艶やかに人里離れたこの地でただただ季節を移ろいさせるのでした。

ちなみに常照皇寺の写真が見当たらなかったので写真はすべて・・・

タイのお寺ですチュー