タイ王国放浪記2 | 注文の多い蕎麦店

注文の多い蕎麦店

人間は何を食べて命を繋いできたのか?
純粋に生きるための料理を実践し
自然に回帰することで
人間本来の生活を取り戻します。

一週間ともに過ごした友達はチェンマイへ。
向こうで日本語教師の職があったらしい。

彼のバックパッカー歴もそろそろ5年目か。
大学卒業間近。
内定の降りていた神戸の魚市場。
その時に発生したのが。

そう。あの大震災。
もちろん内定は取り消し。
高度な文明が一瞬にして崩れ去る現実。
その瞬間を垣間見た僕らの世代。
それぞれがそれぞれの思いを胸に。
その文明を支えるために社会へと。
何の因果か。
一年後、僕は神戸で働くことになるのですが。

彼の胸中。分からないでもありません。
1年間こつこつ就活して得た仕事。
それがあっという間に消滅。
あのぐちゃぐちゃになった神戸の町。
彼はそこから目を背けました。

誰に誘われるともなく彼の放浪の旅が始まります。
金に余裕のあるうちは欧州探索。
金が尽きると日本に戻り、実家近くのみかん畑に。
で、また金が溜まると中国僻地へ。
そしてまた日本へ出稼ぎ。

その繰り返しでとうとう5年。
もちろんただ放浪してただけではありません。
彼にはささやかな目標がありました。

日本がどこにあるかも知らない異国の地で
日本語を教えること。

もともと彼は大学で教職を専攻。
その道を日本ではなく外国に求めたのです。
しかも発展途上の地へ。

中国では現地の大学に通いながら中国語を学び。
タイではタイ語を学びながら教職の道を探し。
ついにその地道な努力が叶ったというわけです。

それにしても何故彼は日本で教職の道を考えなかったのだろう。
当時は不思議でなりませんでした。
場所さえ選ばなければどこでもあったと思うんです。
でも彼は飛び出した。いや、逃げ出した。

今はね。少し分かるような気がするんです。
行き過ぎたこの文明の向かう先。
そこに何が待っているのか。
それが今の日本。
彼はこの状況を予測したんじゃないのか。
あの神戸の震災のときに。

そんな彼とも今や全くの音信不通。
いったいどこにいるのか。
そもそも生きているのか。
もし生きていたら彼は今の日本の有様をどう感じているのだろう。

ほら言わんこっちゃない。とほくそ笑んでるのか。
それとも涙を滂沱しながら逃避した己の弱さを懺悔しているのか。

それでも僕は日本で生きたいと思います。
今なら彼に言えるような気がします。

もう一回日本を修正してみないか。一緒に手伝ってくれないか。

続く。