縁の下の頭蓋骨 | 東四ヶ一の庄

東四ヶ一の庄

実家を離れて40数年。もう帰ることはないだろうと
思っていたこのまちに戻ってきました。
「東四ヶ一の庄」とは、私の愛読書『ホビットの冒険』
『指輪物語』の主人公の家があるところです。

「クローゼットの中の骸骨」というと、英語の表現で「隠しておかなくてはならない秘密」というような意味になるらしい。

 

先日草を抜いた庭に、板石(というかフラットタイプのブロック?)を敷こうと目論んでいる。部屋から庭に出る縁側があるのだけれど、木がぼろぼろになって相当ガタがきているので、これを撤去して家の壁際から板石を敷き、その上に新しい縁側を作る(か買う)かしようと思う。

 

とても良い天気なので、午前中に縁側を撤去することにした。

その縁側の下に、頭蓋骨があった。

長いところの差し渡しは10㎝ほどだろうか。多分猫だろう。

長い空き家時代のどこかで、ここを死に場所に選んだ猫がいたのだと思う。時々来てはいたのだけれど、縁の下までは気づかなかった。

 

きれいに骨になっているから、かなりの時間が経っているはず。ほかの部分の骨は見つからなかった。

 

誰もいないはずの家は、自由に外歩きをする猫たちの立ち寄る場所になっていたのかもしれない。昔、空き家じゃなかったころにも、朝やってきてうちの庭で眠り、夕方になるとどこかに帰る猫がいた。サラリーマンのように、この家に出勤する(眠りに)猫だった。

 

 

この骨をどうしよう。

花と動物の骨を描き続けたアメリカの画家ジョージア・オキーフなら、絵に描くだろうか。

ジョージア・オキーフ画集 『In The West』

 

釣りに行って頭蓋骨を見つけるという落語があって、見つけた男が頭蓋骨を(人間の)供養してやったところ、夜になって美女の幽霊がお礼にやってくる、というのがあった。(うろ覚えです)

 

骨をきれいにして(ハイターに漬けたりしたら虐待?)鰹節でも供えてやったら、夜中に猫がやってきて膝の上でゴロゴロいってくれるというなら、ちょっと嬉しい。

 

前庭には、13年飼って悪性腫瘍で死んでしまった猫を埋めた場所がある。最後に猫を撫でたのはもう何年前になるだろう。

 

縁側の下にはいろいろなものがあった。おそらく父のいたころ(再来年は父の33回忌)から邪魔なものをとりあえず突っ込んでおいたのだろう。ぼろぼろになったペンキの缶や、屋根瓦が何枚か、割れた板ガラス、植木鉢、容器に入ったなんだかわからない液体(車のウィンドウォッシャー液?)。そしてナメクジ。

 

カニもいた。

庭のすぐ横を小さい水路(「大どぶ」と呼ばれている)が流れているからか、子どものころからカニは庭でよく見た。

これは、クロベンケイガニ?

 

カニの右の方にある、壁からくっついて地面の中に伸びている袋のようなものはジグモの巣。

ジグモは、この前草を抜いているとき草の根についてきた。

黒くて細長いのがジグモの巣。クモの糸でできたわりと丈夫な袋で、草といっしょに引っこ抜いても破れなかった。

袋の先端(一番底)がぷくっとふくらんでいたので、袋を破いてみた(ひどいことをする)。

ジグモがいた(そりゃいるだろう)。2㎝くらいか。これは雌だと思う。雄はもっと細長いらしい。ジグモは成虫になるまで3〜4年かかり、雌は大人になっても脱皮を繰り返して数年生きるという。長生きなのだ。(雄の寿命は1年とのこと)

 

じめじめした生き物が多かったので、最後に銀青色のヤマトシジミを。

作業に夢中になって、縁側を壊すところは一枚も写真を撮らなかった。