去年のことだ。荷物を全部運び入れたらできなくなる作業をしようと、まず壁を塗った。
以前から玄関脇の小さなスペースの壁を塗り直したいと思っていた。
子どもが皆家を離れて夫婦だけになったとき、父は家を手直しして玄関と上り框の周囲、そしてこのスペースの壁を全部暗いグレーの繊維壁にしてしまったのだ。玄関が南向きで明るいのでなんとか穴倉にならずにすんでいた、という状態。
まあ、昔から父はセンスが悪かった。
私は、家は明るい方が好きだ。それで、まずこの繊維壁をはがして漆喰を塗ろうと思った。
男の人が楽しげに壁塗りをしようとしている絵柄の袋。
本当は、メガネや防塵マスク、使い捨て手袋などの装備が必要だし(絶対あったほうがいい)漆喰を塗るのはかなりの労働でもあった。
漆喰というのは、割と昔から使われていたものだと思う。白い塗料としても使われたのだろうか。そう思うのは、またしても登場する「ツバメ号とアマゾン号」のシリーズの中の『長い冬休み』で、子どもたちが木の板を「水しっくいで白く塗った」という場面があるからだ。漆喰は水で溶くから「水しっくい」でもいいのだろうか。
アーサー・ランサム作・絵 『長い冬休み』岩波少年文庫
この物語の中では、何かの補修や壁塗りのために使われたわけではなく、単に板切れを白く塗るためだけに漆喰が使われている。
漆喰は、壁紙や板壁の上に直接塗ることができるらしいけれど、繊維壁はコーティング剤を塗るか剥がすかしなければならない。
壁剥がしのための霧吹きとスクレイパー。床には、ガムテープとポリシートが一体になったマスカーテープを貼る。ポリシートが薄いのでレジャーシートも敷く。全てDAISOで調達。
この面の半分を剥がしたところ。下の方が前のグレーの繊維壁。繊維壁に水を吹き付けて、柔らかくなったところをスクレイパーではがす。
剥がしてみると、下の壁は家ができたころの土壁と、その上にセメントを塗った部分とがある。私が子どものころ、ここはクリーム色の塗り壁だった。(妖怪ではない)
上り框の上によくわからない飾りがついていて、そこをはがすと昔の塗り壁が出てきた。
左右にこういうものがあって、見ると鉛筆で目玉と口、そして頭(?)のあたりにリボンが描いてある。ヘビに見立てたつもりだろう。そのころの私では手が届かなかったはずだから、これはどちらかの姉がしたことだ。(どうせ忘れているだろう)
こことは別の、リフォームした部分の壁にも落書きがあった。そこには「陽子(長姉。仮名)バカ」と書いてあった。これは私だと思う(そう書く理由はあったに違いない)。すでに工務店によってなかったことになった。
さて、ここを漆喰で塗ると、こんな感じ。
下塗りをし、乾くまで数日おいて仕上げ塗りをした。曲線部分が大変だった。
本来は「下塗りを2回しなさい」と袋に書いてあるけれど、1回目の下塗りを終えた時点で、そんなん知るか一度で十分じゃ、と思うに至った。
玄関に入ってすぐの壁には窓が刳りぬかれている。
ここには、これまで細い竹の飾り格子があって(電動ノコで切った)、内側に障子を吊るようになっていた。
(中にあるカゴは工具や道具やそのほかいろいろ入っている。邪魔)
これがその障子。塗り終えた壁に立てかけたところ。
洗って古い糊などを落とし、ラッカー(DAISO ウォルナット)で塗り直した後、ちぎり絵を作る趣味のあった母が山ほど残した薄い和紙をパッチワークのように貼った。
和紙が薄くて、わずかな水分で伸びたりヨレたり、あちこちにしわができてしまった。
このスペースには、本棚と祖父の本箱(治さなくては)を置き、児童書を置く場所にしたいと思っている。私が小学生のころ、ここは「子ども部屋」と言われ(部屋ではないけれど)祖父の本箱はそのころからここにあったのだ。けれど、今は片付けられるのを待っているあれやこれやの置き場所になってしまっている。
今朝のラジオで人工知能研究者の黒川伊保子さんが『前向きに生きるなんてばかばかしい』というご自身の著書について、「ちゃんと片付けなきゃ、きちんと目的をやりとげなきゃ、と思わなくていい。人の脳はそれぞれ気持ちよいと感じるものが違う。前向きになれない自分が辛いなら、それはあなたの『前向き』を目指していないからよ」というようなことをおっしゃっていた。
楽に流れつつ、ぼちぼち片付けでもいいのか(しかし、それも辛い時がある)。いずれにせよ、世間でいいと言われているものの基準と自分とは違うらしい、ということはわかった。