佐藤さん | 東四ヶ一の庄

東四ヶ一の庄

実家を離れて40数年。もう帰ることはないだろうと
思っていたこのまちに戻ってきました。
「東四ヶ一の庄」とは、私の愛読書『ホビットの冒険』
『指輪物語』の主人公の家があるところです。

小学校のとき、クラスに2人は「せりざわ」さんがいた。3人いたこともあった。

この街には多い苗字なのだろう。前に住んでいた地方での私の知り合いには「せりざわ」さんはひとりもいなかった。

 

前住んでいたのは、何年か前NHKの朝の連続ドラマ「ひよっこ」の、主人公の故郷とされたところに近い。私はあそこに住んで「なまため(なばため)」さん、「ちのね」さん、という苗字の人に初めて出会った。それも、複数の、それぞれ親戚でもない(たぶん)人たちだった。

「ひよっこ」の主人公の苗字は「やたべ」さんだったと思う。そういえば、やたべさんにも複数出会った。

 

日本で一番多い姓は「佐藤」で、今の結婚制度が変わらず、妻となる女性の95%が夫の姓にする状態のまま子どもが生まれていくすると、500年後には日本人全てが「佐藤さん」になるらしい。

 

父の実家のある場所では、集落のほとんどの家が同じ姓だった。なので、屋号のように「東の家(反対隣から見たら西だと思う)」とか「饅頭屋(はちみつ入りの大きな饅頭を作っていた)」とか「風穴の(大昔富士山の溶岩が流れたあとが洞穴のようになっていたから)」などと言われていた。

父は七人兄妹の三男坊で、二人姉妹の長女の母と結婚したとき姓を変えた。

 

その母方のものである私の姓は、別に珍しくもなく、むしろ東海地方ではかなり多いと思う。

 

40年近く前、今の夫に(前の夫がいるわけではない)「苗字はどうする?」と聞かれた。珍しくもなく、かっこいいわけでもない私の「姓」そのものにこだわる理由はなかったけれど、姓と名がセットになって生きてきたので、夫の姓の下に名をつなげてみても、なんだか妙な感じがした。

 

そう言うと、夫も「同じだ」と言う。私の姓の下に自分の名前がつくと、ちょっと落ち着かないというのだ。

 

それで、私たちは夫婦別姓事実婚を40年近く続けてきた。

 

今から30年ほど前は、今よりもっと選択的夫婦別姓を求める声があり、あちこちで民法の勉強会や啓発活動が行われていたような気がする。

男女共同参画という言葉が説明なしで使えるようになり、「男女平等は実現してる」と言う高校生がいる今なのに、私は、世の中は30年前より保守的になったと感じる。

 

500年先は「佐藤」のあとにナンバーをつけて言うのだろうか。私は当然この世にいるはずはないけれど、そんな未来はあまり嬉しくないと思うし、もう自分は死んじゃってるんだから社会がどうなったって構わないとは思えない。

 

選択的夫婦別姓くらい、私が生きているうちに実現させてほしい。そうしたら、私たちはこれから(なんと)新婚さんになれるかもしれない。

私は、選択肢の多い社会ほど成熟していると思うのだ。結婚のときの姓も、パートナーの性も、教育の手段なども。

 

「佐藤さん」たちが悪いわけではないので、この文で気分を害されたらごめんなさい。

 

「佐藤さん」という児童文学がある。

2003年講談社児童文学新人賞佳作を受賞した作品。

 

著者片川優子さんは、このとき高校生だった。ユーモアのある文章と、たまに出てくる「こち亀の両さんみたいにつながった眉」などという比喩がおもしろかった。

 

ずいぶん昔のことだけれど、「鈴木くん」とか「佐藤くん」というお菓子があったような気がする。多い苗字だから逆に匿名性があって「みんなのお菓子」というイメージになるのかもしれない。(「ちのねくん」や「なまためくん」ではそういうわけにいかない)

 

小さい(けどかわいい)花をつける植物の名前が「ハキダメギク」とか「ヘクソカズラ」などと聞くとなんだか気の毒な気がするけれど、名前に含まれる言葉の意味はすでに淡くなってしまって、名前まるごとが野に咲くその花になっているように思う。

姓・名がアイデンティティの器になる、というのと似ているかもしれない。

 

電線の上に立っているコサギ。

姫路城のことを「白鷺城」と言うけれど、シラサギという鳥はいないのだそうだ。

白いサギは、大きさと特徴別に「ダイサギ」「チュウサギ」「コサギ」と呼ばれている。

 

「ウメボシイソギンチャク」とか「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」などという、面白かったりなんじゃこりゃだったりする名前に比べると、ちょっと寂しい。