そばにいて
18.バスターミナル 2
「おじいさん? 真澄ちゃんのおじいさんって、長野の? ぶどうを
作ってるおじいさんのこと? 」
何度目かの信号待ちをしている間、じっと彼の返事を待つ。でも
答えは帰って来ない。
「ねえ、真澄ちゃん。おじいさんが、どうかしたの? 」
もう一度訊いてみる。信号が青に変わり、彼の歩調に合わせて
横断歩道を渡っている間も、無言のままだった。
渡り終えてバスターミナルの一角に足を踏み入れた時、ようやく
彼が重い口を開いた。
「じいさん、夏から体調を崩してて。親が向こうにしょっちゅう通って
るんだ」
「そ、そうなんだ。わたし、知らなかった……。母さんも何も言ってな
かったし。ごめんね、無理やり聞いちゃって。まさか、そんなことに
なってるなんて……」
「いや、ゆうは悪くない。俺が先に言いかけたんだから。……あのな
ぶどうだけど……」
「うん」
「今年のが最後になるかもしれない。父さんはぶどう園を継ぐ気は
ないみたいだし、多分……」
吉永君の表情が硬い。もちろん、おじいさんが大変な時にずっと
笑顔でいることは無理だと理解できるが、それだけではなく、何か
違うことが言いたいんじゃないかと、なんとなくそう思った。
「何だよ。なんでゆうまでそんな暗い顔になるんだよ」
無理やり明るく振る舞おうとするけれど、うまくいかない。こんな時
こそ、彼を励ましてあげるべきなのに、なぜか優花まで一緒になって
悲しい気持ちになっていた。
毎年もらっていたあの立派なぶどうが食卓をにぎわせるのは、今年
で最後になるかもしれない。会ったこともないおじいさんだけど、胸の
辺りがぎゅっと締め付けられるような切ない気持ちになるのだ。
「真澄ちゃんのおじいさん、大丈夫かなってそう思ったら、なんだか
悲しくなっちゃって。毎年おじいさんが心を込めて作ってくれたぶどう
を、分けてもらってたでしょ? わたし、あのぶどう、日本中にある果物
の中で、一番好きだったんだ。今年のは特に甘くて大粒だったし」
「あ、ああ、そうだな……」
吉永君の口元がほころんでいく。頬に赤みが差し、少し照れたような
笑みまで浮かべている。
「真澄ちゃんのおじさんもおばさんも大変だね」
「まあな。今は母親が向こうに行ってるよ。だから塾のことは心配いら
ない」
「へ? 」
なんでここで塾の話になるのだろう。彼の真意を探るべく、顔をじっと
見た。けれどそんなことくらいで、答えが見つかるはずもなく。
「ゆう、俺の顔見て何か見つかった? 」
「え、あ、いや……」
あああ、いつの間にか彼とじっと見つめ合ってしまった。恥ずかしくて
顔から火が出そうになる。優花は慌てて視線を逸らせて、意味不明な
その場足踏みを始めた。
「あのな、オヤジは仕事が忙しくて帰って来るのは夜中だし。つまり塾を
サボっても、誰にも叱られないってこと」
なるほど。そういうことか、とようやく理解できた。彼は心なしかさっき
より楽しそうで言葉がはずんで聞こえる。でもまたすぐに笑顔が消える。
彼が言いたかったのは、本当におじいさんのことだけだろうか。咄嗟の
理解力はまだまだ発展途上だけど、彼が何かを言い淀んでいる雰囲気
だけは伝わってくる。解けずにいつまでも残っているクロスワードパズル
の空欄のごとく、その答えを今すぐ見つけるのは、優花にとって非常に
困難な道のりのように思えた。
まだ誰も乗っていないバスがロータリーを回って、乗り場に到着した。
優花はカバンを肩に掛け直して、列の最後部に並ぶ。すると、吉永君が
すっと列から離れた。
「真澄ちゃん、どうしたの? 乗らないの? 」
優花から離れてしまった彼に驚きを隠せない。一緒のバスは、やはり
都合が悪いのだろうか。
「あ、俺は乗らないよ。塾の授業があとひとコマあるから、それだけ受講
して帰る。悪いな」
「そっか、そうだね」
「いいか、ゆう。バスを降りたら、マンションンのエントランスまでダッシュ
するんだぞ。いいな」
優花は彼の目を見て、コクリとうなずく。すると彼が白い歯を覗かせて
ほっとしたような笑顔を見せる。優花もつられて笑顔になる。
が、しかし。とうとう優花の乗る番が来てしまった。彼と一緒に帰れると
勘違いして密かにわくわくしていたが、それも叶わず……。
しょんぼりしながらも、彼から目が離せなくて乗車口でもたもたしている
と、続けてご乗車下さい、と乗務員のアナウンスがスピーカーから流れて
くる始末だ。急いでバスに乗り込み、彼が立っているところに一番近い
シートに座る。窓に顔を寄せて、彼に向かって手を振った。
一瞬真顔になった彼の形相がふっと緩み、柔らかい笑顔を浮かべたまま
恥ずかしそうに横を向いてしまった。そしておもむろに片手を上げ、一回だけ
その手を振ってくれた。ほんの一瞬だけの彼のバイバイだった。
エンジン音がする。と同時にバスがゆっくりと走り出す。
優花は吉永君の姿が見えなくなるまで、ずっと窓に顔をくっつけて、いつ
までもいつまでも、手を振り続けた。
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