そばにいて
16.好きな人がいるんです 2
あれから五分くらい歩いただろうか。看板がずらっと縦に並んだ雑居
ビルの下で、みんなの足が止まった。ここの五、六階にあるカラオケ
ルームがお目当ての場所らしい。小さなエレベーターの前に私服姿の
知らない男性がこちらを見ながら立っている。ミコとヒロが形相を崩しな
がらその人に近付いていった。
「えへへ……。タカシ。昨日はゴメン……」
ミコがタカシというその見知らぬ男性に謝りながら、しな垂れかかる。
それを当然のように受け止めた背の高い大人っぽい彼が、ミコの頭を
腕で抱え込むようにして、彼女の額に触れるようなキスをした。
優花は目の前で繰り広げられる生々しい二人の姿に、目のやり場を
失った。
「ヒロ、せっかく誘ってもらったけど、わりぃな。俺とミコはこれから別行動
ってことで」
ミコとタカシが見つめ合い、すでに二人だけの空間にいるようだった。
「いいけどよ。なーんかおもしろくねえな、ったく……」
ヒロはズボンのポケットに手を突っ込んで、少しふてくされた様子で
足元のプラスティック片を蹴った。
上目遣いでタカシを見上げていたミコがふとサリに目をやり、一緒に遊べ
なくてゴメンねぇ、と甘えたような声で謝る。ついさっきまでのミコとは別人
のようだ。
「おい、サリ。おまえも用があるんだろ? 駅まで俺らと一緒に行こうぜ」
タカシがミコの腰に手を回しながら、サリにそんなことを言う。これは大変
なことになった。優花の身体から、さーっと血の気が引いていく。ミコとサリ
がいなくなったら。ヒロと二人っきりになってしまう。なんとしても二人を引き
とめなければと、横にいたサリの腕にしがみついて懇願する。
「そんなこと言わないで……。ね、わたしを一人にしないで、お願いだから」
「え……」
サリが困惑の表情を見せた。
「お願いだから、帰るなんて言わないで。それならわたしも……帰る」
「おいおい、ゆうかちゃん。そりゃあないっしょ? 俺を一人にする気?
じゃあ、カラオケやめて、どっか違うとこ行こうよ。モールとか? 」
ヒロがにじり寄り、優花の背後に張り付いた。
「石水さん、そんなこと言わずにさ。ヒロだってもうその気なんだし。まあ
試しに付き合ってみてよ。二人だけの方が、お互いのこと、もっとよく知れる
しさー。さーて。あたしもそろそろ帰ろっかな。連日の夜遊びで、さすがに
親がキレちゃってさ。今夜くらい機嫌とっとかないと、試験中、遊べなくなる
しね。じゃあ、ミコ。あたしもそこまで一緒に行く」
ミコとサリと、そしてタカシの三人の姿が瞬く間に人ごみに呑まれて見え
なくなる。薄暗いエレベーター前に、優花とヒロだけが残された。
「ったく、タカシの野郎。昨日はあれほどミコのこと、ボロクソに言っておき
ながらよ。かわいげがないとか、だらしないとか。ところがどうよ。ミコの顔を
見た途端にアレだ。やってらんねーな。さあ、邪魔者はいなくなったことだし
俺たちは二人で楽しくやるとしますか。なあ、ゆうかちゃん? 」
「あの、わたし。広川君とは付き合えません。好きな、人が……」
「はあ? 」
「好きな人が、いるんです」
優花は意を決してヒロに気持ちを伝えると、肩に回りかけた彼の腕から
そっと身体を離した。
「へ? 今ごろ何言ってんの。おまえ、ちょっとおかしいんじゃねーか? でも
そいつとは付き合ってるわけじゃねーんだよな? それとも。フリーってのも
実は嘘だったりして? 」
「い、いえ。嘘じゃないです。本当に誰とも付き合ってません」
「なら、別に何も問題ないでしょーが。実らない恋なんかとっとと見切りを
つけて、俺と楽しもうよ、な、ゆうかちゃん? 」
周りには仕事帰りの人の波が途絶えることなく続く。すでに優花にはヒロの
声は聞こえていなかった。
今ならこの人ごみに紛れて、ここから立ち去れるかもしれない。彼が油断
した隙に逃げればいいのだ。優花は雑居ビルのすぐ前にある横断歩道の
信号が青になった瞬間、その場から走り出した。後ろを見てはいけない。その
まま前だけを見て、バスターミナルを目指すんだ。狭い路地に入りジグザグに
駆け抜ける。そしてついに大通りに出たのだが……。
ドラッグストアの前で試供品を配っているきれいなお姉さんに進路を妨げ
られたその時、誰かにぐいっと手を引かれた。
「ゆう。なあ、ゆうっ! どこに行くんだ」
どこかなつかしいその声に導かれるように、優花はゆっくりと後ろを振り
返った。
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