そばにいて

 

10.よかったな 2

 

 

  空白? どうしてそんな難しいことを言っているのだろう。

  何だろう、空白って。

  吉永君が横に並んで優花と一緒に階段を下りているこの状況

 だけでも心臓が口から飛び出しそうになるのに、小難しいことを

 投げかけられても、すぐには返事ができない。

  挙句、頭の中が真っ白になって、あろうことか、階段から足を踏み

 外しそうになり、身体が大きく前後に揺らいだ。

 「おい、しっかりしろよ! 」

 「ごめん。……あ、ありがと」

  素早く差し伸べられた手にしがみつくと、その反動で彼に抱きかかえ

 られるような恰好になってしまった。

  慌てて体勢を立て直し、さっと彼から離れた。

  心臓が早鐘を打ち、息をするのも苦しくなる。あまりにも近い彼の

 存在と、自分の思慮の足りなさに、ますます緊張度合いが増していく。

 「ゆう、おまえ何ふらついてるんだよ。もしかして、本当に具合が

 悪かったのか? 家にもどる? 」

  優花のすぐ目の前に、心配そうな吉永君の顔があった。

 「ううん。これくらい平気。ちょっと、よそ見してたから……」

 「気を付けろよ」

 「うん、わかった。ありがと」

 「なあ、ゆう。昨日はずる休みだなんて言って、ごめんな。そうだ、カバン

 こっちによこせ。持ってやるよ」

 「え? あっ……」

  昨日麻美からもらった沖縄土産のゴーヤのマスコットをぶら下げた

 カバンを、軽々と持ち上げて、瞬く間に優花の肩から奪い取る。

  あまりのスピーディーな動きに、何が起こったのかすぐには理解

 できなかった。

  片手に二つのカバンを重ねて持った彼に先導されて、身軽になった

 優花は手持無沙汰になりながらも、バス停に向かって行った。

 

  バスは行ったばかりで停留所には誰もいなかったが、優花が彼と

 前後で並ぶと同時に、後ろに列ができるのが気配でわかる。

  大所帯のマンションの住民のほとんどが利用するこのバス停は

 いつも長蛇の列だ。優花は後ろを振り向く勇気がなかった。同じ高校の

 学生がたくさん並んでいるはずだからだ。

  彼と一緒にいる所を見られると誤解を招きそうで、少し怖かった。

  吉永君との間を一人分くらい空けて、他人のふりをしてバスを待つ。

  時折り後ろを振り向く彼の口元が何か言いたげに開くのだが、結局

 何もしゃべらないまま、三分ほどでやって来たバスに乗り込んだ。

 

  車内はすぐに学生や通勤の人々で満員になっていた。そして同じ

 学年の顔見知りの人たちからの視線を感じていた。

  先に乗り込んだ吉永君が窓際で、優花は通路側に座った。彼の隣に

 座るのをためらったが、カバンを持ってくれている彼と離れるわけにも

 いかず、なるべく身体が密着しないように端っこに腰を下ろした。

  だからと言って何を話すでもなく、お互い黙り込んだまま前を見て

 座っていたのだが、優花が彼の膝の上にある自分のカバンに手を伸ばし

 定期入れを取り出そうとした時に、それは起こった。

  外側のファスナーを半分くらいまで開けたところで、急に彼の手が

 伸びてきて中に手を入れたかと思うと、優花の定期入れを探り当て

 取り出して彼女の手の上にポンと置く。

 「あ、ありがと、真澄ちゃん……」

  優花はやっとのことそれだけ言って、受け取った定期入れをしっかり

 握りしめたまま、再び口をつぐんだ。

 

 

 

 

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