そばにいて

 

7.泣かない 2

 

 

  胸だけでなく、胃も腸も、内臓全部がぎゅっと締め付けられるように

 なって、息をするのもつらくなる。

  次第に目の前がかすんで、そして、泣きそうになった。

 「そ、そうだ。なんか食べるもの、持ってくるね」 

  優花はやっとの思いで立ち上がり、二人に顔を見られないようにして

 部屋を出た。何も知らない絵里の笑い声が、やけに大きく響く。これも

 吉永だよね、と今度は麻美の声。

  優花は絶対に泣かないぞと天井を仰ぎ、歯を食いしばった。

  そして、洗面所の鏡に映る自分に向かって、もう一度、泣くものか

 と宣言する。

  水でバシャバシャと顔を洗い、すぐにでもこぼれそうになる涙を、押し戻す

 ことに成功した。

  無理やり笑顔を形作って、自分に言い聞かせる。もう大丈夫だ……と。

 

  台所に行き、冷蔵庫からよく冷えたジュースを取り出した。母が磨きこんだ

 ピカピカのグラスをトレイに並べ、ジュースを注ぐ。後で浮かべた氷が

 水面でカチャリと透明な音を立てた。

  残りのジュースを冷蔵庫に戻す時、昨日吉永君が届けてくれたあの

 ぶどうが優花の目の前にでんと姿を現した。

  大粒で甘くておいしい目の前のぶどう。麻美にあげたら喜ぶだろうな。

  そう思ったけれど。優花は慌てて首を横に振った。これだけはダメだ

 絶対にあげない、と。

  麻美には悪いと思ったが、見なかったことにしてそっと冷蔵庫を閉じた。

  なのに。次の瞬間、また冷蔵庫の扉に手をかけ、エイッと知らずに出た

 掛け声と同時に庫内があらわになる。実が外れないようにそっと両手で

 ぶどうを抱えてボールに入れた。水道水で優しく洗い流し、大き目の

 ガラスの器にていねいに盛り付け、おしぼりを添えた。

 

 「お待たせ」

  優花はトレイに載せて運んできたジュースとぶどうをテーブルの上に

 並べた。

 「さあ、どうぞ。食べてね」

  ぶどうの入った器がちょうど麻美の前に来るように並べる。それなのに

 「わあーーっ! おいしそっ! 優花、サンキュー」

  と真っ先に絵里がぶどうを狙うのだ。

 「絵里っ! ちょっと待った! 」

  優花はあわてて絵里の暴走にストップをかける。何がなんだか理解に

 苦しむ絵里が、怪訝そうな目をして動きを止めた。

 「絵里、ごめんね。まずはマミから食べてほしくて。実はこれね。吉永君

 ちのぶどうなんだ」

 「えええええーーー!」

  絵里と麻美が顔を見合わせる。

 「それがね、昨日、母さんが吉永君ちからお裾分けしてもらって……」

  彼が自ら届けてくれたとは、さすがに言いづらい。

  これで最後の房になるけれど、来年もきっと食べられる。だから今日は

 麻美が全部食べていいからね。

  そんな気持ちで、改めて麻美にぶどうを差し出す。

  絵里も納得したのか、目を輝かせて麻美を見守っている。

 「ホントにいいの? あたしが一番最初にもらっても? 」

 「いいんだってば。優花が言ってくれてるんだからさ。ほら、食べて」

  絵里が麻美の背中を押す。麻美が遠慮がちに一粒頬張り、そののち

 極上の笑みを浮かべる。

 「お、おいしい。すっごく甘いよ。パパがゴルフの景品でもらってくる

 ぶどうより、ずっとこっちの方がおいしい」

 「では、あたくしも」

  絵里も待ってましたとばかりにピンポン玉くらいの大きい実を、パクッと

 口に放り込んだ。

 「あっまーーい。これ最高。そっか、吉永のおじいちゃんのぶどうなんだね。

 マミ、よかったね」

  絵里が口をもごもごさせながら感嘆の言葉を発する。

 「絵里、あたし嬉しい。今日、優花んちにお見舞いに来てよかった。優花

 ホントにありがとう。優花も食べて」

 「ううん、わたしはいいんだ。さっきも食べたからね。わたしこそ、マミに

 喜んでもらえて嬉しい」

  嬉しいはずなのに。また目の奥が熱くなってきて、泣きそうになる。

  でも我慢、我慢、今ここで泣いたりしたら、すべてが水の泡だ。優花は

 唇をかみしめて涙がこぼれないように瞬きを繰り返した。

 「そうだ。なんか音楽でも聴く? 妹おススメのアルバムがあるんだけど」

  涙を見られないようにスピーカーの方に身体を向けた時。急に玄関の

 あたりが騒がしくなった。

  どこかで聞いたことのある声と妹の声が次第にヒートアップしてくる。

 

 「お、おい。やめろよ、あいちゃん」

 「んもう! もたもたしないで。お姉ちゃんの部屋、憶えてるでしょ? 」

 「わ、わかったから。押すなってば。もう、ここでいいよ」

 「なに言ってんのよ。自分の目でお姉ちゃんが元気かどうか確かめなきゃ。

 真澄ちゃんの意気地なし! 」

  

  絵里も麻美も、そして優花も。互いに顔を見合わせたまま、ドアの向こう

 の会話に黙って聞き入っていた。

 

 

 

 

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