そばにいて
5.一生の不覚 1
玄関には母がいて誰かとしゃべっている。
「どうもありがとう」
そう言って母が頭を下げると、肩越しに向こう側いる人と目が合った。
よしながくん……。
どうして彼がここにいるのか。なぜ、母が明るい声でありがとうと言って
いるのか。
優花はその信じられない光景にしばし呆然として、立ちすくんでしまった。
姉妹のただならぬ気配に気付いた母が後ろを振り返る。
「あらっ、優花。ちょうどよかったわ。真澄ちゃんがね、ぶどうを持って来て
くれたのよ。今年もおじいちゃんの家の畑で、たくさん収穫できたんだって。
毎年いただいているでしょ? さあ、優花も真澄ちゃんにお礼を言って」
優花はドキドキしているのを悟られないように努めて平静を装って
さらっとありがとうと言った。
そして、横でいたずらっぽい目をしてニッと笑う愛花を睨み付けるのも
忘れなかった。
いつも愛花は教えたわけでもないのに、お姉ちゃんの好きな人は
真澄ちゃんでしょ、と詰め寄ってくる。
年の近い姉妹ならばこそ、お互いどんなに些細なことであっても、見抜
かれてしまうのだろうか。
愛花にしてみれば、吉永君に会わせてあげようと気を利かせたつもり
なのだろうけど、今日はいくらなんでもタイミングが悪すぎる。
忘れ物事件があったばかりのその日に、こんな風に顔を合わせるのは
やっぱり気まずい。
にもかかわらず彼がいつものふてぶてしい態度は微塵も見せずに、やや
うつむき加減になりながらも、どうも、なんて返事をする。
いったい、どういう風の吹き回しなのだろう。気になるあまり、彼の様子を
チラッと盗み見る。すると向こうも優花をじっと見て、目を細めるのだ。
ありえない。あの吉永君が微笑みすら浮かべてこっちを見ている。
優花は信じられなくて、自分の目をごしごしと何度もこすった。
「優花、どうしたの? ごみでも入った? ふふふ。変な子ね。そうそう
久しぶりに一緒に夕食でもって誘ったんだけど、真澄ちゃん、今から塾に
行くんだって。誰かさんと違って、偉いわねえ、って言ってたところなのよ」
母は、立て板に水のごとく、ぺらぺらととんでもないことを口にする。
一緒に夕食でもって……。小さい子ども同士でもあるまいし。
今は彼と仲がいいわけでもないのに、勝手に夕食に誘うだなんて、親の
考えてることは全くもって、よくわからない。
吉永君。いつまでもこんなところにいなくていいから、早く塾に行って
いいよと目で訴える。彼も夕食なんて望んでいないのだから。
優花はどうしようもなく申し訳ない気持ちになって、心の中でごめんねと
謝りながら、玄関にたたずむ彼を再びそっと伺い見る。
するとどうだろう。今度は彼が笑ったのだ。さっきの目元の微笑みとは
違い口元まで緩めてにっこりしたように見えた。
優花もつられて、ややぎこちなさを残しながらもにこっと笑い返した。
その後も彼は笑いをこらえるようにして、時折肩を震わせる。
どうしてそんなに機嫌がいいのか、謎は増すばかりだ。
「それでは失礼します」
笑いをどうにか抑え込んだ吉永君が、姿勢を正し、姉妹と母に向かって
頭を下げる。
「お父さん、お母さんにもよろしく伝えてね。わざわざどうもありがとう」
吉永君がドアの向こうに姿を消し、母がにこやかに優花と目を合わせた
その時だった。
優花をまじまじと見た母が、プッとふきだした。
「あら、やだ。なんかいつもと違うと思ったら。優花、その前髪、どうしたの? 」
母が手を伸ばし、優花のつるんとした額をすいーっと撫でる。
「うわーー。ホントだ。おねえちゃん、ウケるーー。おでこ丸出しだよ。手首のバンダナも
イミフだし。怪我でもしたの? 」
お腹を抱えて笑い出す二人を無視して、大急ぎで洗面所に駆け込み、上半身を
鏡に映してみた。
あ、ありえない……。
優花は鏡に映った自分のその姿を視界にとらえるや否や、意識が遠のき、よろめき
そうになった。
そうだった。さっき自分の部屋で鏡を見た時、前髪を束ねて頭のてっぺんで
結んだのだ。それに手首にバンダナもつけたままで。
こんな格好、小学生ですらやらない。今どきの子はもっとおしゃれだ。
ということは。この無残な姿を吉永君に見られてしまったことになる。
だから、彼が笑っていたのだ。
優花はその後、極度の自己嫌悪に陥り、夕食の石水家特製の串カツが
ほとんど喉を通らなかったのは、言うまでもない。
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