ひーくんが算数の宿題をしとる時に
飴🍬の絵があって、何個か数える問題があった
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で、どんなふうに数えるのかな〜、一個ずつ数えてくのかな?って思ってその様子を横で見てたら
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って5個ずつ区切って計算しとったの
私おぉぅって思って
「え、そうやって数えるんや!すごいね!」
って言ったの。
そしたら
「いま自分でこのやり方を考えたんだよ」
って言ってきた
てっきり学校でそういうやり方を教わったのかと思ったから、自分で考えてやったなんてすごいって思った。
ここはコンプリメント!!
「え自分でいま考えたの!?めっちゃすごいやん!ひーくん自分でやり方を考える力があるんだそれってすごいことだよ!ひーくんはきっと算数が得意になるね。こうやって考える力があるんやもん」
って言ったの。
そしたらひーくん
「すごいでしょ」
ってほんと←この顔しとった笑
ママはやっぱりぼくのすごさをわかっとるな〜
って思っとるのかなかわいいやつめ
コンプリメントをやっとると
私が言った瞬間、明らかに表情がかわる瞬間がある
ママがぼくのすごさをわかってる
ママにそう言われるとめちゃくちゃ嬉しい
ってひーくんが思う瞬間の顔があって
なんか、ハッとしてキラキラしとるような語彙力・・笑
その顔を見ると私も
やってやったぜーー
ってすごいうれしい手応え
毎回その顔を狙いに行くんやけど
いろいろ考えてコンプリメントをしても
なかなかその顔は見れない・・まだ見れたのはほんの数回・・
奥が深いなぁって感じる。
それで考えとった時にナリ心理学で
言葉って、何を言うかじゃなくて、誰が言うかが全て。人生を楽しんでいる人の言葉以外はくそ。
という言葉を見た時に
なんかその顔が見れる時と見れない時の違いがわかったような気がした。
それはやっぱり森田先生の本の中に基本の基本で書かれてた
「お母さん嬉しい!」って言葉を言う時は、世界一幸せなお母さんになったつもりで言ってくださいね。
っていう言葉なのかもしれない。
真面目な私はついコンプリメントをする時に、真剣な顔になってしまっていたかもしれない伝えたくて必死。
真剣な顔でいう言葉も大事にしたいけど
でも褒める時は笑顔でお母さん嬉しいを伝えなきゃ、伝わらないのかもなぁと
文章でみて理解したことが、やっと自分の経験として理解できた気がする。
それで振り替えってみると
「え自分でいま考えたの!?めっちゃすごいやん!ひーくん自分でやり方を考える力までもってるんだそれってすごいことだよ!ひーくんはきっと算数が得意になるね。こうやって考える力があるんやもん」
って言った時の私は
心からひーくんすごっ!そういうのが見れてうれしいって気持ちだった。
だからきっとその時の私の顔も
ハッとしてキラキラしとる顔をしとったのかもしれない
きっとそういうことだ
と今はそう思う