あの出来事から、1ヶ月ほどが経過した。


連絡先を聞かなかったことに対する若干の心残りは完全に消え、


出来事自体も、ひとつの記憶として整理されつつあった。




ひどい雨の木曜日。


16時からのクライアントとの打合せで、横浜に向かった。


打合せが終了したのは、予定を大幅に越えて19時過ぎ。会社に戻る予定であったが、相変わらずのどしゃ降り。会社までの道中を考えると気が滅入った。明日の午前中は予定も無いため、このまま家に帰る事にして、会社へ連絡を入れた。

昼食を取っていないことを思い出し、関内駅ガード下のうどん屋で取りあえず空腹感を治めることにした。

店を出ると、雨は小降りになっていた。雨の日特有のアスファルトの匂い。
雨はやみそうだが、既に会社へ戻るテンションは無い。予定外の空き時間。
少しの間だけ、目的も無く散策することにした。

雨上がりの夜。家路を急ぐサラリーマンやOL。駅と反対方向に歩いているのは私だけだった。
スーツ姿のカップル。年齢は私より少し下ぐらいだろうか。仕事上だけの関係ではないだろう。かといって、付き合い始めの初々しい感じでは無く、生活を共にしているといった印象。

それぞれに生活があり、家庭がある。

・・・結婚が頭をよぎる。

二人の生活を想像する。

具体的に結婚後の生活を考えたのは初めてかもしれない。

二人とも働くのなら、家事は半々?夕食は交互で作る?
休み前はどこかで待ち合わせて、たまには外食?
二人の子供?
どちらに似る?
その前に結婚式か。誰を呼ぶ?何処で?挨拶は誰にお願いする?・・・。

思いがけない想像と共に、あても無く歩き続けた。

結婚。
悪くないかもしれない。
ここ数年、彼女は私からの言葉を待っている。
そもそも、待たせ過ぎた。

家に帰って、電話をすることにしよう。

ここから一番近い駅を、頭の中で探した。


1ヶ月前、ある女と出会ったイタリアンレストランがある通り。その通りとの交差点付近まで来ていた。右に曲がれば店にたどり着く。

駅に向かうには少し遠回りだが、引き返すことを嫌い、店の前を通って駅に向かうことにした。


通りは、、街灯が点在しているだけで暗く、人通りも無かった。
500m程前から、女性が一人でこちらに向かって歩いていた。

近づいてくるその女性の姿には見覚えがあったが、気にはしなかった。偶然過ぎる。

ちょうど街灯の下で10m程の距離になった時、お互いが顔を確認した。

1ヶ月振りに見たその女性の顔は、少し疲れていた。

連絡先を聞くのを忘れたことに対し、意外と動揺は無かった。
所詮、出合い頭の出来事。
相手にはパートナーもいることだし。


・・・私には、付き合って8年になる彼女がいた。付き合う前の期間も含めると、10年以上の付き合いになる。
共通の友人もたくさんいて、お互いの親にも会ったことがある。
年齢的にも、結婚がとても自然な流れではあったが、お互い、カタチにはこだわっていなかった。
いや、彼女はこだわっていたのかもしれないが、常に私の考えを尊重してくれた。

もはや、私は彼女のことを、大切なかけがえの無いひとつの個人として見ていた。
裏を返せば、女性としては見ていなかった。
もともと、彼女の容姿をはじめとする女性的な部分に惹かれた訳では無かった様に思う。
曖昧だが、何か絶対的なモノに惹かれた様に思う。
昔ある女性に、相手の何がどうして好きなのかということを、ハッキリと言えることが重要だと言われたことがあった。
もともと右脳依存の感覚重視である私は、その言葉の意味をよく理解しようとはしなかった。
重要なのは感覚的な部分で、言葉に出来ないこと程本物だと考え、そして自分の感覚に自信を持っていた。

想像以上に妖艶なカラダのその女性は、積極的だった。

二人は、覚えたての頃の様に、何度も何度も繰り返した。

アルコールで断片的になったその場面は、深く官能的な

記憶となって残った。

・・・。



鈍い頭痛と共に目が覚めると、女性が慌てた様子で身支

度をしていた。

「朝、暗い間に帰ろうと思っていたのに・・・。マズイ。」


6時50分。

私も急いだ。


外に出ると、我々の存在を全く無視するかの様な、爽やか

な空だった。鮮明に雲の輪郭が判別出来る青い空。


眩しい朝日とアルコールによる頭痛に顔をしかめながら、

ホテルを出て大通りへ。タクシーを探した。


その女性は、ひどく真面目な顔をしていた。

急いだため、化粧はほとんどしていない。昨日の化粧が

残っている程度。

整った鼻、飾り気のない目、乾いたほどよい厚みの唇。

かわいらしい顔だった。

化粧映えする顔でもあるが、飾らない女性の顔は、愛ら

しくかわいかった。

女性の焦った気持をよそに、私は女性の顔をみつめ続

けていた。


タクシーの中で、あまり会話は無かった。

女性は平静を保っていた。

最寄り駅で、女性は降りた。



私は、一人タクシーで自宅に向かった。

・・・・。

連絡先を聞いていない事に気づく。

振り返ると、女性の姿はもう無かった。