和歌山に上陸した台風は、昨晩のうちに関東地方を抜けましたが、前線が活発でこれから北上してくるようで、明日も関東地方は朝から雨模様のようです。皆さんのところでは被害はありませんでしたか。
今朝、生田緑地を散策していると、散歩しているカタツムリを見つけました。
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昨晩からの雨がようやく上がったので、久しぶりに散歩に出かけたのかも知れませんね。
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何処から来たのかは、聞くまでもなく、お見通しです。
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少しカーブしているようです。
結構、大きなカタツムリさんでした。
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林に入ると、ジョロウグモがいました。夏から秋に見られるクモです。大きくて複雑な網状の糸を張って、常に中央で待機しています。網が壊れると、網全体を作り直すことはせず、その部分だけ修理するそうです。
視覚は良くなく、獲物がかかったかどうかは、時々、足を動かして、帰ってきた振動で確かめる習性があるそうです。自分より大きなセミやスズメ蜂も捕獲して、頭から食すそうです。
この時も、急に動きはじめたので、連写しました。何か獲物がかかったかのかも知れませんね。
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おしまい
昨夜は十五夜でしたね。そこで、日本民家園と科学館の十五夜の行事に参加してきました。

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古民家と古民家の間には、淡い蝋燭の灯りが案内してくれます。

あいにくの曇り空で、結局お月見は叶いませんでしたが、夜の古民家もいいもんです。新潟の田舎を思い出しました。
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こちらの古民家には、外国の方も見えてました。

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都会では、味わえない日本の伝統文化です。

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合掌造りの古民家の障子越しには狸が。

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こちらでは、うさぎさんが餅つきをしています。

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お客さん同士が囲炉裏を囲んで談笑しています。

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この古民家の1階には、お蕎麦屋さんが入っています。今回は、月見蕎麦で我慢です。

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科学館のプラネタリウムでは、十五夜にちなんだ番組が投影されます。
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こんな月が見たかったな~。
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科学館の自然展示では、ナイトミュージアムと称して、普段見ることができない骨格標本の解説がありました。
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こちらも、骨格標本の狸くんです。狸くんの出番が多い十五夜でした。
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おしまい
土曜日の午後、久しぶりに山下公園に来てみました。正面に見えるホテルニューグランドは、幕末に開設されたフランス海軍病院跡地に昭和2年(1927年)に開業しました。開業当初から皇族をはじめ、チャーリー・チャップリン、ダグラス・マッカーサーなどが滞在しています。映画のロケでは『ツナグ』にクラシカルな雰囲気を漂わせるホテルとして使われています。ホテルの中には、石原裕次郎や松田優作が愛したバー「シーガーディアンⅡ」があります。サザンオールスターズの「Love affair~秘密のデート」の曲中に出てくる「シーカディアンで酔わされて~」で知られているかもしれません。一度は入ってみたいところです。その隣のタワーはご存知、「横浜マリンタワー」です。
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今回の主人公は、ホテルニューグランドでも横浜マリンタワーでもありません。そう、「氷川丸」なんです。何と氷川丸は、平成28年8月にめでたく重要文化財に指定されていたのです。つい1ケ月ほど前のことです。知りませんでした。
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「氷川丸」の前には、「重要文化財」の銅板のプレートが建てられています。
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これまで「氷川丸」を意識して見たことはありませんでした。ちゃんと見たのは、今回が初めてかもしれません。「氷川丸」は見違えるほど立派に見えています。
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なんとも凛々しい船体です。氷川丸には大人300円で入館することができます。折角なので見学することにしました。
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氷川丸は昭和5年にシアトル航路用に建造された貨客船です。一等公室にはフランス人デザイナーによるアールデコ洋式の内装が施されています。その後、大戦中は政府徴用船や海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷しましたが、日本郵船の大型船では唯一沈没を免れました。ここは、一等公室の廊下です。
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一等公室の廊下の窓からは、みなとみらいの景色が一望できます。
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空気が澄んだ日には、バックに富士山が見えます。
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ここは、一等食堂です。
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ここは、一等社交室です。ダンスパーティーの会場として使われていました。優雅なアールデコの装飾が施されています。
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ここは、横浜を出港して、シアトルに向かう船旅の様子を紹介する展示室です。
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ここは一等特別室です。
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こちらは隣接している一等特別室の寝室です。
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操舵室からは横浜港が一望です。正面に見える橋は「つばさ橋」です。右側(手前)の橋がベイブリッジです。
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1時間ほどでしたが、「氷川丸」を見学しているうちに日が落ちてきたようです。随分と日が短くなりましたね。
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「氷川丸」の見学の後、「みなとみらい」に足を向けました。正面の一番高いビルは「横浜ランドマークタワー」です。アイスコーヒーを飲みながら、夜景になるのを待ちました。
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撮影した場所は、みなとみらい地区と関内地区を結ぶ「万国橋」の上です。この場所は、夜景を撮るのに人気の場所のようでカメラを持つ人で賑わっています。
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赤レンガ倉庫前の交差点に設けられた歩道橋の鉄枠から「よこはまコスモワールド」方面を撮りました。
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赤レンガ倉庫の夜景を撮りました。
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おしまい
前回ご紹介した人形町駅から、東京メトロ日比谷線でひと駅足を延ばして、小伝馬町駅に来ました。
この駅を上がると(地下鉄のため)、江戸伝馬町牢屋敷跡があります。江戸伝馬町牢屋敷は、慶長年間から明治8年まで270年にわたって数十万人の囚人を収容してきました。幕末期には、安政の大獄で捕らえられた吉田松陰や橋本佐内、そして、岩手県水沢の旅でご紹介した高野長英(蛮社の獄で捕らえられた)が収監されていたところです。高野長英は、牢屋敷に火を付けさせ、脱獄し、東北、宇和島、薩摩を巡り、江戸に舞い戻って来るわけですが、この場所で、多くの有能な幕臣や藩士たちがこの地で命を落としました。
今は、十思公園として、都民の憩いの場になっています。
(高野長英を紹介している過去のブログ記事です。)
※「行くぜ、東北。高野長英のふるさと 水沢編」のブログ記事
http://blogs.yahoo.co.jp/simada7126/28170625.html
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公園内には、都指定文化財の「銅鐘 石町(こくちょう)時の鐘」が設置されています。これは、江戸の町に時を知らせた鐘で、処刑が行われる日には鐘を撞く時間を少し伸ばして、処刑を遅らせたという江戸町人の心持ちが伺える逸話も残されています。
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十思公園には、発掘された石垣が出土したままの状態で移築復元されています。そこから推測しますと、牢屋敷は高さ2.4メートルの高い塀で囲まれていたと言われています。
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復元された石垣の横に案内板が建てられています。
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公園の東側には「吉田松陰終焉乃地」の石碑が建てられています。
吉田松陰は、この伝馬町牢獄に2度収監されています。1度目は、安政元年(1854年)にペリーが再来した折に、下田から黒船に乗って密航しようと企て失敗し、下田奉行所に自首して、そのまま伝馬町送りになった時です。この時は、半年ほどで出獄を許され、地元長州で蟄居の身になりました。松下村塾を開き、高杉晋作や久坂源瑞などの志士を育てたのはこのころの事です。
2度目は、井伊直弼が朝廷の勅許を得ずに日米修好通商条約を結んだことに憤慨し、幕府批判を行い、咎められたときです(安政の大獄)。安政6年(1859年)、幕府の命で呼び出された松陰は、取り調べの最中に、老中首座(間部詮勝)を暗殺する計画を持っていることを自ら白状したことによって、死罪になってしまいます。
処刑後、小塚原回向院(荒川区)の墓地に葬られましたが、文久3年(1863年)に高杉晋作ら攘夷派の志士たちにより現在の世田谷区若林に改葬されています。
(吉田松陰を紹介している過去のブログ記事です)
※「幕末の下田を巡る①黒船来航と吉田松陰」のブログ記事
※「小塚原回向院と円通寺を巡る①」のブログ記事
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「吉田松陰終焉乃地」の石碑の隣に松陰が処刑されるときに詠んだ辞世の歌碑が建っています。「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」
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明治になって牢屋敷跡地に建てられた十思公園前の大安楽寺の境内には、処刑場があったとされ、刑死者の慰霊のため「延命地蔵尊」が祀られています。寺の正面には、「江戸伝馬町処刑場跡」の石碑を見ることができます。
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寺の正面には、また「江戸伝馬町牢井戸跡」の標識があり、当時の石垣が置かれています。
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公園に隣接している十思スクウェアの建物内には、「小伝馬町牢屋敷展示館」があり、牢屋敷の模型などが展示されています。
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おしまい

映画「麒麟の翼」の舞台は、日本橋七福神を巡る界隈です。

最寄りの駅は、東京メトロの日比谷線と都営地下鉄の浅草線が乗り入れる人形町駅です。駅の出口は甘酒横丁の交差点です。
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甘酒横丁の交差点の近くに、大正8年に創業した「快生軒」という老舗の喫茶店があります。この喫茶店「快生軒」は、刑事の加賀恭一郎たちが聞き込み後の待ち合わせに使っていたところです。
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喫茶店「快生軒」の隣には、鳥料理の「玉ひで」があります。創業は宝暦10年(1760年)なので、このあたりでも、老舗中の老舗ですね。
東京軍鶏肉を使用している元祖親子丼はランチで1500円です。
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映画「麒麟の翼」では、レストラン「芳味亭」も出てきます。加賀恭一郎の阿部寛さんや看護師の田中麗奈さんが加賀の父親の3回忌の打ち合わせをするというシーンに使われています。
ビーフシチューやコロッケが評判のお店です。創業は昭和8年で、初代はなんと横浜ニューグランドホテルのシェフだったそうです。ホテル系洋食の老舗ですね。
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加賀恭一郎たちは、被害者の青柳武明の顔写真を手に聞き込みしていた際に、熱心に神社をお参りしている青柳武明の姿を見かけたという情報が入ります。そこで、加賀恭一郎たちは、あらためて日本橋七福神の神社に聞き込みをはじめることになるのです。
日本橋七福神「椙森神社」は恵比寿神の神様です。江戸時代には江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ、庶民だけでなく松平信綱などの諸大名からも崇敬を集めていました。
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日本橋七福神「茶ノ木神社」は、布袋尊の神様です。神社の周囲の茶の木の緑が見事だったことからこの名がついたと伝えられています。この辺りの土地は、下総佐倉の城主、大老堀田家の上屋敷でした。大火の多い江戸時代に屋敷内で火災がなかったことから、この神社は堀田家の守護神として祀られていたものです。今でも防災、生産の神様として信仰を集めています。
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日本橋七福神「松島神社」(大鳥神社)は大黒神の神様です。明暦の大火前、大鳥神社の周囲は歓楽街で、人形細工職人や歌舞伎芸者、吉原の芸妓など芸能関係や庶民の参拝が盛んだったそうです。11月の酉の市がその名残です。
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日本橋七福神「末廣神社」は、毘沙門天の神様です。勝運を授け、災難を除ける神様として、400年以上前から信仰されています。末廣神社は、この地にあった吉原の守り神として崇められていました。
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日本橋七福神「笠間稲荷神社」は寿老神の神様です。日本三大神社のひとつ笠間稲荷神社の東京別社として、長寿、幸運の神様として崇められています。
加賀恭一郎たちは、被害者の青柳武明が紫色の千羽鶴を笠間稲荷神社の賽銭箱の上に置いて拝んでいるのを目撃したという情報をつかみます。
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日本橋七福神「寶田恵比寿神社」(宝田神社)は、恵比寿神の神様です。日本橋七福神は、恵比寿神が2カ所あるので、本当は八福神が正しいのかもしれませんね。
この寶田恵比寿神社は、小伝馬町駅の近くにある小さな社ですが、名物祭事の「日本橋べったら市」は非常に活気のあるお祭りです。
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日本橋七福神「小網神社」は、福禄寿の神様です。稲荷様を主祭神とする小網神社は、文正元年(1466年)に悪疫鎮静の神として鎮座しました。
太田道灌公の崇敬も篤く、社名も道灌公が名付けたといわれています。また、健康長寿の福禄寿と財運向上・学芸成就の弁財天は、神社と同じ境内にあった万福寿寺にお祀りされていました。
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小網神社の社殿(昭和4年建立)は、戦災を免れたり、同神社の御守を受け戦地に赴いた兵士全員が無事帰還したことなどから、近年では「強運厄除の神」、パワースポットとして多くの参拝者で賑わっています。
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最後にご紹介する日本橋七福神「宝生弁財天」(水天宮)は、弁財天の神様です。
手前の朱色の社が宝生弁財天です。久留米藩主の有馬頼徳公が能楽の技を競った際に、弁財天に願をかけ、勝利したことから宝生弁財天と崇められてきていると言われています。
同じ境内にある水天宮は2016年の4月8日に新社殿になったばかりで、眩いばかりです。
総本宮は福岡県久留米市にある久留米水天宮で、東京にある水天宮は分社とされています。御利益は、水難除けと安産、子育てとされていて、安産祈願に訪れる夫婦や家族が後を絶ちません
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映画「麒麟の翼」の中では、被害者の青柳武明が日本橋七福神を回って、神社毎に同じ色の千羽鶴を折って賽銭箱に置いていました。何故か・・・(これ以上詳しく書くとネタバレになるので、関心のある方は小説かDVDをご覧になってください)
刑事の加賀恭一郎が千羽鶴の折り紙を探して入店したのが、日本橋本町3丁目にある「小津和紙」でした。
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小津和紙は、承応2年(1653年)に創業した和紙の専門店で1階が店舗で、2階がギャラリーとなっています。とても落ち着いた感じの良いお店です。
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私は、ここでお土産に和紙で作られた筆箱を購入しました。和紙独特のしっとりとした手触り感が気に入ってます。
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映画「麒麟の翼」は、東野圭吾さん特有のサスペンスの面白さもありましたが、親子の絆を描いた感動的な作品でもありました。
被害者の青柳武明が腹部を刺されながらも、一羽の折鶴を持って、日本橋の「麒麟の像」に向かった理由のひとつに、息子の青柳悠人(松坂桃李)に対し、父親の最後のメッセージを伝えたものだったのです。
きっと「逃げることなく、勇気を持って羽ばたいて欲しい」という願いが込められていたのだと思います。(少しネタバレだったかな?
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おしまい
 
映画「麒麟の翼」に登場するロケ地(日本橋周辺)をマップにしました。
https://goo.gl/maps/3bEEtSJFNxt