12月14日は四十七士の討ち入りの日でした。

久しぶりに泉岳寺に行ってみました。行ったのは2日前の12日、ちょうど、義士祭の準備で境内も慌ただしさがありました。


紅葉が綺麗で、しばし、佇んでいました。

本堂にお参りした後、浅野家、四十七士の墓前に線香を手向けました。

泉岳寺は、元々徳川家康が創建したお寺なんです。住職は今川義元の孫でした。当初は外神田にありましたが、寛永の大火で焼失し、将軍家光が浅野家らに命じ、高輪に移したそうです。その時から泉岳寺と浅野家の繋がりができたのだそうです。

近くに、大石内蔵助らが自刃した場所があるので、見学し、地下鉄で三田まで行き、昼食をとりました。


慶応仲通り商店街にある「瀬戸内水軍」という愛媛の郷土料理のお店に行きました。


一番人気は、鯛の釜飯です。お茶漬けも美味しいですよ。


栗も入っています。


そこから、東京タワーを目印に歩きます。


東京タワーの周辺には芝公園や増上寺があって、緑が豊かです。特に銀杏が綺麗でしたよ。


銀杏に囲まれるように、メタセコイアの林も素敵でした。男ひとりで歩きます。時より、自撮りしながら。


虎ノ門方面に向かうと愛宕神社があります。まだまだ、一気に男坂は上れます。長期間、改修工事が行われていましたが、綺麗にリニューアルされました。


愛宕神社は火防の神ですが、武士にとっては勝利の神でした。井伊直弼が暗殺された桜田門外ノ変では、暗殺を無事遂げられるよう、水戸の浪士たちは愛宕神社に集まり、お参りしたのち桜田門に向かいます。

今も場所は移設されましたが、愛宕神社の境内に桜田門外ノ変烈士の石碑があります。


ここから、新橋の方向に向かって歩きます。暫くすると、浅野内匠頭が自刃した場所があります。石碑があるので、わかります。

その近くに和菓子屋さんがあって、名物に「切腹最中」があります。イートインができないので、お土産にしました。


これって、どうなのかなと思いながら、でも美味しくいただきました。店主曰く、食べてもらって、亡くなった浅野内匠頭のお話しをしてもらえらばということでした。

東京の紅葉も終わりに近づいていますが、晴天に誘わらて、半日ひとり散歩をしてみました。

動画も作りましたので、良かったらご覧ください。




DAY 2 高岡編

前回に引き続き、北陸フリーきっぷで行くひとり旅、今回は2日目の高岡編です。
今回は、時系列に写真を掲載することができました。よろしくお願いいたします。
 
宿泊は高岡駅前のAPA HOTELでした。初めて泊まりましたが、部屋自体は狭いものの、特に不便を感じることもなく、浴場もあって、まあまあ良かったと思います。何しろ、高岡駅と繋がっているところが便利です。
 
今回の旅で一番楽しみにしていた景観といえば、氷見線に乗って、雨晴海岸からみる「富山湾越しの冠雪の立山連峰」です。よく駅ポスターで見るあの景色です。
 

 

今日も分刻みのスケジュールを立てているものですから、7時30分発の氷見線に乗って、雨晴駅に向かいます。

平日の早朝とあって、乗客のほぼ全員が高校生です。乗っている時間は30分足らずですが、見知らぬ土地でローカル線に乗って、「呑み鉄」の気分です。

 

高校生が一斉に降りてしまうと、閑散とした車内で、ポツンと数人の観光客だけが取り残されてしまいました。その観光客の目的地もやはり雨晴駅です。

 

次第に青空が見えてきましたが、どんよりした天候です。雨晴・・・。駅名が雨晴と言うくらいですから、天気の移り変わりも結構あるのかも知れませんね。と適当なことを言っていますが、やはり、駅ポスターで見る「ほ・く・り・く」の代名詞の立山連峰は見れませんでした。

でも、この駅の感じ、良くありませんか。

 

 

氷見線は日中は一時間に1本くらいしか本数はないのですが、平日のこの時間は高校生の通学タイムということもあって、上りの電車が30分後にくるのです。ですから、効率よく高岡駅に戻るためにも、約30分と限られた時間の滞在となりました。

 

駅に降り立って初めて気が付いたのは、雨晴海岸まで450mもあるということです。往復で900mです。のんびり歩こうものなら、行き来だけで15分くらいかかってしまいます。実際、そのくらいかかりました。

 

踏切の先に雨晴海岸のビューポイントがあります。

 

下の白い近代的な建物は、道の駅「雨晴」です。早朝ということもあって、オープン前でしたが、来られる方は寄られると良いと思います。海岸線が見えるオシャレなカフェがあります。

 

富山湾沖を目を細くしてじっと観ていましたが、やはり、立山連峰は見えませんでした。気温が23度もあって、大気もどんよりしていたせいでしょう。また、来たいと思います。

 

写真の右側に見える奇岩が「雨晴」の語源につながる大岩なるものでした。

 

源義経が兄頼朝から追われたため、奥州に戻ることになるのですが、その際に、この地に来たところ雨に降られ、この奇岩の下で雨宿りして、晴れるまで過ごしたことからきたようです。岩の上には「義経社」という祠がありました。

 

立山連峰を抜きにしても、素晴らしい景観でした。

           

 

ギリギリ、雨晴駅に戻ることができ、蜻蛉返りで高岡市内を観光します、それも半日で。

市内エリアから見ても「自転車」が一番効率的な「足」と予測し、駅構内にある観光案内所でレンタサイクルを利用しました。「ママチャリ」でしたが、正解でした。

 

最初に訪れたのは、江戸初期に建てられた「瑞龍寺」です。高岡の開祖の前田利長の菩提寺で、建物は国宝に指定されています。やはり素晴らしいお寺です、ここはオススメです。

 

 

 

高岡駅の東西自由通路を通り、駅の反対側に出ます。次に行ったのは「高岡大仏」です。

日本三大大仏と言われ、奈良、鎌倉、そして高岡と称されています。

その大仏様の隣に「AMIDA COFFEE」があって、ここでおみくじ付きのカステラをいただきました。「大吉」が出ました!

 

高岡といえば、北陸道の歴史的建造物が残された街並みが有名です。大きく、2ヶ所あります。

土蔵造りが並ぶ「山町筋」と、鋳物師の町「金屋町」です。ともに、素晴らしいところでした。ここも絶対見逃せません。

 

この日は平日ということもあって、人通りも少なく、自動車の交通量も多くないので、ゆっくり散策することができます。私もママチャリから降りて、歩いてみました。

 

この赤煉瓦の建物は、大正時代の建物で元銀行だそうです。監修は東京駅を設計した辰野金吾です。

 

鋳物師の町、金屋町は江戸時代にタイムスリップしたかのような街並みです。

 

 

お昼を過ぎたところで、行ったのがドラえもんファミリーのオブジェのある高岡駅前です。そうです、高岡は藤子・F・不二雄の故郷なんです。ドラえもんファンにとって、聖地ですね。

 

オブジェの先に「富山ブラックラーメン」の看板が見えたので、ここでランチをいただくことにしました。

富山で食べられなかったので、ちょうど良かったです。もちろん、黒醤油ラーメンをいただきました。色の割に辛くなく、とても美味しいラーメンでしたよ。

 

 

予定の時間を1時間ほど過ぎてしまい、当初計画していた在来線「あいの風とやま鉄道」に乗り損ねてしまったので、城端線を使い新高岡駅に行き、北陸新幹線で金沢駅に向かうことにしました。全部、フリーきっぷなので新たな料金は発生しません。

午後は金沢市内観光です。

 

超ハイペースの旅はさらに続きます。高岡編も動画を作りましたので、良かったらご覧ください。

 

 

 

北陸フリーきっぷで3泊4日

こんにちは。このところ、暖かかったり、寒かったりと身体にこたえますね。

 

今回は11月半ばに3泊4日で行った北陸の旅を記事にしようと思います。きっかけは、「大人の休日倶楽部」で4日間フリーきっぷ(24,000円)が発売されたことと、来春1月24日から吉村昭原作「雪の花」という映画が封切られるので、そのロケ地巡りもしたいという思いからでした。(大の吉村昭ファン)

 

「大人の休日倶楽部」の「北陸フリーきっぷ」は、4日間で都内から出発して、北陸エリア間フリーというもので、往復、新幹線指定席で北陸エリアも新幹線自由席を含め、在来線がフリーの切符なんです。

 

そもそも、「大人の休日倶楽部」は通常の30%引きですから、31%以上安くならないと意味ないわけで、最後には4日間のフリーきっぷの効果についても検証したいと思っています。

 

ということで、1日目は東京駅7時20分の北陸新幹線「かがやき503号」敦賀行きに乗りまして、9時25分に富山駅に到着しました。2時間余りで着くんですね。

 

11月だというのに、気温22度という暖かさ。紅葉は期待できないかな・・・。

富山には出張できたことがありますが、富山の日本海側の北口に出たのは初めて。

今回は、VLOGを中心にと意識していたので、写真は4枚だけになってしまいましたので、申し訳ありませんが、想像しながらお付き合いください。

 

最初に行ったのは、「富岩運河環水公園」です。駅から徒歩10分ほどで行けて、どの旅行雑誌のモデルコースにも登場する有名な公園なんです。

なぜ有名なのかというと、世界一景観がいいとされる「スターバックス」があることです。いえ、それだけではありません、公園全体が整備されていて綺麗!

すみません、写真はありません。最後に動画を貼り付けましたので、よかったらご覧くださいませ。

 

 

折角でしたが、スターバックスには入らず、富山駅に戻り、市電(富山港線)に乗って25分の「岩瀬」に行くことにしました。日本海沿岸の風光明媚なところです。

ご存知の方も多いと思いますが、江戸時代に北前船で繁栄した歴史的景観の街並みが素晴らしいところです。

最近では、その礫的建造物を活用した新しいお店もつくられていて、魅力的な観光地になっています。その中心は何といっても「桝田酒造店」です。富山の銘酒「満寿泉」の酒造元です。

 

堂々とした建物なので、中々、暖簾をくぐって正面玄関からは入りにくい雰囲気があったものですから、小心者の私は塀伝いに回って、裏口から入りました。むしろ中庭が観れるなど景観を楽しむには良かったかもしれません。

 

蔵なども巡り、暖簾をくぐり建物の中に入ると、大きな一枚木の机があって、受付の方から「試飲されますか」と聞かれます。「お願いします」と返事を返すと、試飲の説明が始まりました。

 

係の人「15分で1000円と30分で2,000円がありますが、どちらにしますか」。

まだ、午前10時30分で、これから詰まった日程があるので、私「15分の方でお願いします」、係の人「300円でおツマミはいかがですか」、私「お願いします」となり、赤いストップウオッチとお猪口と乾き物のおつまみが並べられ、目の前にある100本近い酒瓶の置かれた棚を指しながら、係の人「ご自身で棚から自由にお好みの酒瓶を選んで持ってきて、注いだところからスタートです、説明は以上です」と言って、受付に戻っていかれました。

 

15分という時間は、一体どのくらいだっただろう?と思いながら、説明を受ける前に棚の酒瓶の種類と並び順を確かめておけば良かったと一瞬思いましたが、すでに待ったなしです。

 

一杯目は「純米吟醸」、二杯目は「純米大吟醸」と進み、お猪口といえども、試飲なので、一飲みというのも大人気ないので、口に含みながら、想いにふけるわけです。「美味っ」、そしてツマミも時々、口にしながら。

 

いよいよ、後半戦です。段々、棚の整理の仕方も分かってきました。奥に行くほど高級になってくるようです。そこで、奥に進みます。

三杯目はブラックの「限定大吟醸」、そして四杯目に「大吟醸」の「古酒」をいただきました。古酒は年代物だけに、味わいもふくよかです。

早いもので、赤いストップウオッチも残り10秒となったところでした。終了!と言わんばかりにストップウオッチがピッ・ピッと鳴り響きます。

 

でも、本来「試飲」といえば、どのお酒を買うかという時に試すものなんですよね。でも今回はというと、如何に短時間で、良いお酒を選んで、飲めるかというゲーム感覚のような感じになってしまって、少し大人気ない感じになってしまいました。でも、良い思い出になりました。

 

結構、酔いもまわり、気持ちよくなってきました。そうですよね、約1合半を15分で飲み干すわけですから。桝田酒造さん、ありがとうございました!

 

岩瀬の散策は、いえ、富山の旅はここから始まりました・・・。

 

さて、岩瀬の散策の後は富山駅に戻り、折角なので、回転寿司屋さんに入り、地産のノドグロ、ベニずわい蟹といった握りをいくつかいただきました。

 

その後、富山駅南口から歩き、隈研吾がデザインした富山市ガラス美術館などを見学し、富山の一日目は終了です。

宿泊地は高岡にしました。在来線の「あいの風とやま鉄道」に乗って20分ほどで到着です。もちろん、これもフリーの範囲です。

写真をお見せできなかったところは動画を見ていただき、雰囲気を味わっていただければ嬉しいです。

次回は、高岡編です。

 

 

奥州街道を歩く第二弾

 4ヶ月ぶりのアップです。最近は皆さんの投稿を拝見させていただいてだけなので、もう、入力の仕方も忘れてしまいました。変な記事になってしまっていてもご愛嬌とお許しください。

さて、今回は奥州街道の2回目。ようやく、猛暑を脱したようなので、手始めに氏家宿から大田原宿まで歩きました。自宅から3時間かけて、氏家駅まで来ました。


歩き始めて、ようやく、街道らしい建物を見つけました。長屋門の柱に五十里湖決壊で洪水になった跡が残されています。


矢印が付けられていて、後世にも危険を伝えるサインになっています。


こちらは紡績業で財を成した旧家です。明治天皇の東北巡幸の際に休憩されたようです。


国道を離れ、山間部に入りました。奥州街道の看板が嬉しいですね。


ここから古道に入ります。


古道の雰囲気は味わえましたが、倒木もいくつかあって、荒れているのが残念でした。


荒川を渡ると喜連川宿です。


温泉湧出から40何あまりなんですね。意外に新しい。


元銀行の建物は観光協会になっています。


職員の方に地域のことをお尋ねしました。


疲れた時は甘味ですね。


草餅をひとついただきました。


坂道を少しでも歩けるように、リュックを前にかけ、西陽を避けるように野球帽を後ろにかぶっています。でも、疲れました。


ふるさとを感じる光景にしばし、佇みます。


貨車を物置きしているお宅を発見。


街道の殆どは変化のないアスファルトなので、道路脇の植物などに目が行きます。秋の味覚ですね。


暑い中、小休止です。


そばの花が見頃のようです。




蔦のからまる標識。


唐辛子の畑。


大田原市に入ったら、雷が!ヤバ。

今回は大田原宿までということで、西那須野駅から帰宅しました。次回はとりあえずのゴールの白河宿まで歩きます。




​奥州街道を歩く

5年ぶりに街道歩き旅をはじめることにしました。

街道は奥州街道です。5年前に日光街道を歩いたので、宇都宮からのスタートです。

自宅が川崎なので、日帰りで2回、泊まりを入れて4日間ののんびり旅歩きです。



川崎から宇都宮まで、新幹線を使わずに2時間半ほどかかります。宇都宮では、街道から少し離れている城跡を巡り、追分に向かいます。



日光街道では、戊辰戦争をテーマに歩きました。中でも小山戦争や宇都宮戦争は激しい戦いの跡があって、興味深い旅でした。

この宇都宮城では官軍に組みしたことで、旧幕府軍との激烈な戦いがあり、土方歳三により、落城炎上しています。



旧篠原家住宅は、街道歩きされた方は皆、ご覧になっているかと思いますが、住居の隅々まで豪商ならではのつくりになっていますね。

特に火災対策は徹底されています。


蔵を初め、全ての壁は火災対策として漆喰が施され、蒲鉾塀につくられています。


この屋根もわざとUの字に仕立てられていて、防災の技術が使われています。


今回は日帰りなものですから、身軽にボディバッグを下げて歩きます。



途中で美味しそうなパン屋さんがあったので立ち寄ります。


なんと、ヨーグルトパンが有名でジャパンカップで準優勝されたそうです。すでに売れ切れていたので、あんぱんとメロンパンを購入。


これは白沢宿の小川の写真です。長閑な当時の様子が伝わって来るようです。


街道歩きの難所はどこに行っても、この歩道のない道路を歩くことでしょう。


これは白沢の一里塚跡です。


この踏切には旧奥州街道踏切と書かれています。踏み入れた感じがしてきました。この日は氏家宿で終了でした。


YouTubeにも掲載します。よろしければご覧ください。