Cさんに新大阪駅、構内の喫茶店で会う。
実は、彼女と知り合って、
もう6~7年月日が経っている。
今、彼女は
オリンピックの地、
北京に住む。
そして、僕は、
彼女と出会うきっかけとなった
以前の会社を辞め、
一人で仕事をしている。
もちろん
彼女も以前と同じ職場にいるのではない。
諸行無常ということばがある。
僕らの目の前にあらわれる現象は
無情そのものだ。
しかし、
僕らの内に、
脈々と流れるものは、
無情ではないことに気づく。
心優しいCさんは、
僕との話の時間を
少しでも長く持つために
関空に向かう特急電車を
1本遅らせてくれた。
時間を気にしながら
同時に、時間を忘れて話に没頭する。
いい大人が、
という考えもあるだろう。
でも、
魂の底の交流をしたとき、
人は、
その人本来の、
子供でも、
大人でもない、
何かになるんだということを、
改めて知ることになる。
義理の父親が
白内障の手術を受けて
今日退院してきた。
僕らは良く
「老衰で死ねたら、どんなにか楽だろう」
そんな言葉をもらす。
「でもさぁー、
老いたところで、死は死だよ。
老いたからって、
自分が
死んでいく覚悟なんかできないよ。」
「きっと、
老衰で亡くなるとしても、
言葉には出来ない、
沢山のおそれと、
かなしみを
人は抱えながら
最後の瞬間を迎えるんじゃないか?」
「それを、
涙にしたり、
言葉にしたり、
あえて
そういうことをしないか、
あるいは
体力的にそれができないか。
きっと、
そんなんちゃうかなぁ」
お盆直前に亡くなった、
祖父を思い出しながら、
朝のコーヒーを入れながら、
家人と話す。
「今が一生」
それが変わることはない。
それと同時に、
「日々老いていく自分」がいるっていう、
継続性の法則も変わることがない。
二つの矛盾する事柄を抱えて
僕らは生きていく。
僕らにそこでできるのは、
昨日会った、Cさんが、
自分の体験を通して僕に教えてくれているように、
「身体と思いをシンクロさせて生きる」
そのことなのかもしれない
と思ったんだ。
実は、彼女と知り合って、
もう6~7年月日が経っている。
今、彼女は
オリンピックの地、
北京に住む。
そして、僕は、
彼女と出会うきっかけとなった
以前の会社を辞め、
一人で仕事をしている。
もちろん
彼女も以前と同じ職場にいるのではない。
諸行無常ということばがある。
僕らの目の前にあらわれる現象は
無情そのものだ。
しかし、
僕らの内に、
脈々と流れるものは、
無情ではないことに気づく。
心優しいCさんは、
僕との話の時間を
少しでも長く持つために
関空に向かう特急電車を
1本遅らせてくれた。
時間を気にしながら
同時に、時間を忘れて話に没頭する。
いい大人が、
という考えもあるだろう。
でも、
魂の底の交流をしたとき、
人は、
その人本来の、
子供でも、
大人でもない、
何かになるんだということを、
改めて知ることになる。
義理の父親が
白内障の手術を受けて
今日退院してきた。
僕らは良く
「老衰で死ねたら、どんなにか楽だろう」
そんな言葉をもらす。
「でもさぁー、
老いたところで、死は死だよ。
老いたからって、
自分が
死んでいく覚悟なんかできないよ。」
「きっと、
老衰で亡くなるとしても、
言葉には出来ない、
沢山のおそれと、
かなしみを
人は抱えながら
最後の瞬間を迎えるんじゃないか?」
「それを、
涙にしたり、
言葉にしたり、
あえて
そういうことをしないか、
あるいは
体力的にそれができないか。
きっと、
そんなんちゃうかなぁ」
お盆直前に亡くなった、
祖父を思い出しながら、
朝のコーヒーを入れながら、
家人と話す。
「今が一生」
それが変わることはない。
それと同時に、
「日々老いていく自分」がいるっていう、
継続性の法則も変わることがない。
二つの矛盾する事柄を抱えて
僕らは生きていく。
僕らにそこでできるのは、
昨日会った、Cさんが、
自分の体験を通して僕に教えてくれているように、
「身体と思いをシンクロさせて生きる」
そのことなのかもしれない
と思ったんだ。