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携帯でメールもメッタに書かないのに、ましてやブログなんかって思わないことはないけど、つくづく携帯ってよくできてるなと思う。だって書くのがこんなに楽だもんね。

…でも


腱鞘炎なりそ(笑)
Oさんと午後3時から
大阪は新世界で
串カツを食べつつ
彼女の送別会。

ようやく待ちに待ったビザが発給され
フィアンセの待つ
アメリカに向かう彼女は
去年会ったときよりも
すこしだけ
大人の女性の雰囲気を
醸し出していた。

子供の頃、修学旅行で
訪れたアメリカに魅せられた彼女は、
その思いを遂げるかのように、
あちらでご主人を見つけ、
この後の長い人生を
アメリカ市民として過ごす。

同じように
自分も、
子供の時に、
修学旅行で訪れた、
奈良の大仏さんに魅せられ、
気がつけば、
奈良に住んでいる。


人生の大きなできごとというのは
もしかすると
子供の頃に
ささやかに見た夢が
いつの間にか
実現しているという不思議が
シンクロして、
ますます
生きるということが
面白くなった。
深夜、ほとんど衝動でこのブログを作ってみたけど、
どうして、そんな気持ちになったのか、
そんなことを考えている。

人には表現をしたいという欲求があるに違いない。
その表現方法は、
生きてから死ぬまで
一貫していることもあるし、
またそうでないこともあるだろう。

NHKで、昨夜、坂本龍一のインタビュー番組をやっていた。
NHKらしくって、すべてが予め仕込まれているような、
そんな半ば強引な流れが
気にならないわけじゃなかったけど、
それでも、その中で坂本龍一が言っていたのが、
YMO時代は、YMOとしてのプロジェクトが
自分個人の音楽活動が、
YMOという対極があるために
成り立っていた、
ということだった。

YMOが「散開」して、
その対極を失った坂本は、
自身の音楽活動すら、
失ってしまったかのような時代に
しばらく入っていったというのが、
とても興味深い。

もしかすると、
人というのはそういうものなのかもしれないな
そんなことを思う。

そこに自分のおかれた
人生にある、
根本的な問題を見つけたような気もする。


対極という存在に、
自分の意識をレーザービームのように
注ぎ込んだ結果として、
反射波として
再び自分を照らすビームによって
自分という、とても矛盾した存在は、
その存在の軸を見つけることができる。

それは、あたかも、月や星が、
太陽の光を反射して、
この地球で輝くということに
似てるんじゃないか。


一つのことを
深めて、突き進めているかのように見える、
坂本龍一の世界に
そんな 
対極があったからこそ
成り立っていた世界があったなんてことを
知ったのはよかったなぁ。


もう一つ、
好奇心を旺盛にして、
変化を恐れない、
そんなことも、学ぶ。

目標は
他人から見た自分、
ではなく、
あくまでも、
自分を突き詰めること。
それに素直であること。


そんな生き方は
何もアーティストに与えられた
特権ではないよなと思う。

20代は金融に興味があった。
30代後半からは、環境活動に興味が移った。
50代からは、ITを始めた。
そんな生き方があっても良いはずで、
それは、ゼロ・ベース思考とでも言おうか、

実は、
死ぬっていうことを、
背中にいつも抱えている僕たちは、
考えてみたら
毎日毎日、
この瞬間、瞬間が
新しく生まれているっていうことだ
なんていうことだってできるのだから。


今、生まれました。
さて、何をしましょうか。


そっか、
そういう意味でブログが
書きたくなったのか。


今までいくつかブログを書いた結果として、タイトルは大した意味を持たないっていうことに気づいたな。どうせ変わっていく物。それにウンウン唸るのは時間の無駄。

「月雨日記」は、たまたま、そうだAmebaでブログを作ろうって思った瞬間に、外で雨が降っていて、たまたま今日が月曜日だったってこと。そのぐらいでいいんだよなぁえっ きっと。
ブログ難民っていう言葉があるのか、ブログノマドっていう言葉があるのかは知らないけれど、僕はその典型。

いつも思いつきで始めては、途中で書かなくなっちゃうから、どうしようもない。

思いつきで、これも始めてみたけど、これも一体いつまで続くのやら。やれやれ。

そうは言っても、ふと書きたくなる瞬間ってのがあるんだよなぁ。これはもはや中毒だね(-。-;)