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息子たちは、もう20代なかばとなり
あれから10年ほど経過したので
書いていこうかと思います
これは、ヒーリングで
あっという間に解決したり
魔法みたいに次の日に
現実が変わったというお話ではありません
3人のうちの1人は不登校でした
真面目でユニークな発想で
型にはまらない
笑いを忘れない
楽しいを追求するのが
とっても上手な子どもでした
その才能をもっとも潰して
追い込んだのは私でした
彼は幼い時から可愛い顔で一生懸命
年子であっという間に兄になるというのに
赤ちゃん♥️あかちゃん♥️
って嬉しそうでした
実家に帰省したときに母から
あなたが。ちゃんと怒らないから
あの子はダメになる
そう叱責され、可愛かったあの子を
ちゃんと怒れないから
ダメな子だと思い始めました
その考えを受け入れたのは私
そのせいで息子は苦労することになる
私は彼が手間のかかる子だと思っていました
当たり前です
幼いのだから、手がかかっても当たり前
むしろそれが可愛い
だけど私は手を貸さなかった
鬼になれば、あの子は成長する
思い込みは暴走したんです
幼い子どもに完璧を求める
なぜ?
私の母から、私を守るために
息子を使った
これが私のしたこと
息子が誉められれば
私が誉められた気持ちになる
息子が注意を受ければ
私の子育てに❌がついた気がする
私は、両親の言葉を気にするようになると
周囲の親戚の言葉も気になるようになりました
ダメな親
あんな子が親だなんて可哀想
早くで結婚するもんだから。。。
先が思いやられる。。。
そんな声が聞こえてました
全ては外側の事
ホントは私が気にしなければ
彼は健やかに成長していたと
今でも私は思います
成長するにつれ
彼は、彼の持ち味である
ユニークさが表に表れ始めるんです
夕涼み会で、1人だけ違う振り付けで
楽しそうに円の中心で躍り笑いをとったり
大人ぶって、家族に
アイスを買いに行こうとしたり
滑り台の上からタイヤを転がしたり
桜の木に登って
砂場上の小屋の屋根に隠れてみたり
幼稚園のトイレに隠れてみたり
話し出したら止まらないくらいです
理由も可愛らしいものでした
カッコいいだろ!
スゲーだろ!
面白いだろ!
幼稚園の先生や
一緒に振り回されるお友だちのお母さんからは
苦情の嵐でした🤣
お気持ちよく分かります💦
ご迷惑おかけしました🙇♀️
あの時、私は怒らず。怒鳴らず
『楽しかった?』
『そんなことよく思い付いたねー!』
『上手だったよ!』
って、誉めてあげればよかった
1度誉めてから
『だけどね』
って、寄り添ってあげればよかった
あんなにコテンパンに
ダメだと❌をつける必要はなかった
それがずっと続いたんです
ずっと
本来、明るかったあの子は
私が、周りの目を気にして
怒りまくるうちに
大人しく主張しない子になっていきました
本が好きで
ずっと本を読んでる子に
なりました
男の子は外で遊ぶもの
そう思っていた私は無理に外に出したり
本を捨てたり
言うことを聞かせるために
これでもか!と
包囲網を狭くしていきました
そして彼がいじめられていることを知り
強くなればいじめもなくなると
武道を習わせるんです
全てが逆向きの動きだったとも知らず
私は私を守るために
必死で息子を使って
コントロールして
親から認められるために
誉められるために
さいてー
そのうち彼は学校での事を
話さなくなり
体調不良を訴え
休みがちになり
行かなくなりました
その頃の私は
外側に責任を擦り付けていました
母が余計なことを言うから
周りが私をもっと信じてくれたら
私がまともな家庭で育っていれば
息子が私を受け入れてくれてれば
夫が鬱にならなければ
全てが誰かのせい
頑張った私は素晴らしい
私が振り返る部分なんか
1つもなくて
こんなに必死なのに
なぜ誰も助けてくれない?!
そんなこと思って生きてました
さいてー
外遊びをやめて
本ばかり読むようになった時
気がついれいれば?
いや
私があの子を怒らなければ
私が両親から愛されていれば?
私が優秀な子なら?!
私と同じ思いを
息子にさせてしまっていたんです
そして彼は自分を守るために
心のシャッターを下ろしたんです
私の時代は
親を捨てて遠くに家出して
しばらく行方の分からない子も
少なからず居ました
今の子は逃げないんです
逃げれないのかもしれない
だから、引きこもって
『不登校』というスタイルになる
周りから自分を守らないと
やってけない程に
心は戦って疲弊しきっていた
そうならないために
私はどうするべきだったのか?
私は私と向き合って
私の現実を知るべきだった
ダメな私も
受け入れがたい私も
親の目が気になる私も
親に下剋上叩きつけたかった私も
どんな私も受け入れて
私が愛してあげればよかった
は?
息子さんじゃなくて?
そう!
息子さんじゃなくて❗
愛が枯渇した
カリカリの干物状態では
息子を愛することが出来ないから
カリカリだと結婚も子育てもできないの?
そんなことない
ただ
私みたいに自分を見失いやすい
だから知って欲しい
息子は地頭よくて
成績優秀な子でした
中学3年から高校卒業まで
ギリギリの出席日数で卒業しました
彼に光をくれたのは
小学生の時に絶交していたお友だち
進学の時も
単位が足りなくなりそうな時も
お友だちは、息子を気遣い
お前がいるから学校も世界も楽しい!
と、笑ってくれた救世主でした
その間、私は
スピリチュアルと出会ったことで
自分を見つめ、気付き
手放し、受け入れる事で
自分を取り戻し
息子に対して
彼のやりたいことに対して
反対することはなくなりました
息子は昔の私
そのものだと気がつくと同時に
私とは別々の個性を持つ
生き物であることを知ったからです
今ほど、
全てを笑い飛ばせてはいませんでした
息子がフリーター何年目の時だったか
兄弟の仲も少しずつ回復し
落ち着いてきた頃
何となく
彼の話を聞いたことがありました
ホントは私にどうして欲しかった?
受け入れて欲しかった
大事にして欲しかった
話し聞いて欲しかった
笑って欲しかった
大好きだといって欲しかった
生きててよかったと思いたかった
関を切ったように話すのを
黙って聞いていました
ホントはどうしたかった?
何て言って欲しかった?
そう聞き返すだけでした
幼稚園の夕涼み会で
円の中心で別の躍りを踊ったのは
お母さんに笑って欲しかったからだよ❗
怒ってばっかりじゃなくて
笑って欲しかったからだよ
笑って俺を見て欲しかった
あぁ。。。。
私達のすれ違いは
母の叱責を受け入れた
あの日から始まってたんだ
私は1人で必死に
毎日こじらせてたんだ
私は息子からこんなにも
愛されていた
そして息子に
私の元に生まれてきてくれてありがとう
を、伝えてから
私と息子のバランスは
変化しました
それに私が気がついてから
息子はゆっくりと変化をしていきました
自動車の免許を取ったり
定職についたり
お友だちと出掛けるようになったり
実は自分に友達がいたことを知り
実は自分は人と仲良くする
スキルがあることを知り
行った先に仲良しを作ることができる
そんな風に変わっていきました
今でも彼から『愚痴』は呪文のように
口から出てきます
わはは🤣
面白くなってるじゃん❗
って、言ってます
これは、うちの息子の話で
全ての子どもさんに
当てはまるわけではありません
むしろ、当てはまるのは
お母さんの方
私のように
子どものためにと
当時思っていたことは
実は
自分の保身のためだった
今でも自分自身
どうしたいのか分からずに
もがき続けている
そんな方は
自分自身の奥底の気持ちを知って
解放して、受け入れることで
あなたが変わる事で
その波動が伝わり
周囲が変わる
自分が変えれるのは自分だけ
周りが変わるのは
その後の話し
あなたが。あなたの世界を
作っているから
だから
あなたが変わるのが
先なんだよ
焦らずいこうぜ✨