金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント改訂版 経済的自由があなたのものになる [ ロバート・T.キヨサキ ]
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この本だったか覚えていない。たくさんのシリーズ本があり、大体のところは読んだ。それでも腑に落ちなかったが、最近は感覚的にわかってはきた。ただ、キャッシュポイントが作れていない以上、これを作るべきなのもわかっている。
そして、主要な方法である資産となる不動産を買って、それを担保にさらに買い増していくという方法は、この国では難しく感じるし、この国に不動産を持つことは、ある意味首根っこをつかまれているようで、やりたくない。
年齢的に、ほぼ安定して収入を得るすべはあるのだが、借り受けるだけの信用も担保もない。
担保といえば、今この本を読んでいる中で、国債に対しての考え方を変える必要があることに気が付いた。
以前読んだこの本で、森永さんの言っていること、国が国債発行をし、日銀が引き受け、その金利は国にとっての収入になり、信用創造の中で破綻はしないというものだったかと理解していたのだが、信用創造でできた現実価値を、価値のある段階になって、官僚、政治家、天下り官僚、取り巻きらが寄ってたかって奪っていったとしたらどうなるだろうか?
残るのは借金のみ、その担保が、国民の担税力となれば、話にならない。
付け回しが来て今の負担率になっているのだから、国債を増やせばさらに負担が上がり、いずれは資産課税をしようということにもつながる。
地方、清須市は関係ないということはない。
なぜなら、本来使われるべきところとしての地方交付金があるのであれば、奪われていかなければ、こうしたところにも回ってこようというものだし、本質的なところがわかっていれば、地方議会として、あるいは首長として、国に対して声を上げ続けることで、あるいはこうした横暴をやめさせることができるかもしれない。
役人上がりの市長にはこうした発想もないだろうし、権力には従うのが吉と思い込まされているから、ダメなのだ。
その権力の一つとして、議会の与党会派政政界にも従い、税金を浪費する体質も明確になっている。