パソコンにしても、人にしても、基本的に並列処理はできない。集中して、金もうけしたいのだけどねえ。 | 名古屋市発、来る清須市長選、政権与党イコール悪を忘れず、投票を。

パソコンにしても、人にしても、基本的に並列処理はできない。集中して、金もうけしたいのだけどねえ。

 プログラムを作っている人であれば、わかっていることと思うのだが、基本的にパソコン、その頭脳であるCPUは、一度に一つのことしか処理できない。

 

 ただ、その処理速度が速いということと、やっていることが、羅列されていて、順番に処理していることにより、同時に処理できているかのように見えるだけ。

 

 漫画家の、手塚氏は、締め切りに追われていた際には、それぞれの担当に、一枚ずつ原稿を書いて渡したという。週刊誌のそれぞれに対し、締め切りが近いのはすべて同じであろうが、待っているものらに、一枚ずつ仕上げて、原稿を渡した。

 

 通常の人には、想像すらできない離れ業を当たり前のようにやっていた漫画の神様。伝え聞いた話ではあるが、嘘ではあるまい。

 

 それと同じような処理をパソコンもしていて、その処理速度が速いので、複数の処理を同時にして言うかのように見えているだけということだと、これまで私の学んだことからな、こう理解している。

 

 確かに、コアが増えて、同時処理ができるようになったのかもしれないが、基本的なところは変わっていないと思っている。

 

 同様に、人の思考、頭にしても、同時に複数のことをしているように見えても、やっていることは同様で、一度に一つのことにとりかかっているものと思える。

 

 だからこそ、一つのことに集中してしまえば、次の予定も忘れることもあるし、次の予定を考えながら、今のことに集中しきることはできない。

 

 そうした前提の下で、私は、本来自分の金もうけに集中したいとかねがね思っていた。ただ、あまりに役所がこれを妨害し続けるからこそ、ここから治さなければと思ってきたわけだが、これがまた、権力の壁が厚く、硬い。

 

 一般個人が壊すことができない仕組みになっているため、毎日、選挙に行こう。投票して、今の権力を根っこから覆そうと書いているのだが、理解してくれる人はほとんどいないのではないかと思うことが多い。

 

 国も、地方も、清須市も、集めた税金をいかにくすねていくかというようなことを試作するような泥棒ばかり。これに加担していい思いをする役人を見るに至っては、腹が立つのを通り越して、なんとも言えない無力感と、むかつきしか覚えない。

 

 それなら出て行けという輩も多数いるのだろうが、それなら、出ていくだけの金をよこせと言いたいくらいだ。

 

 どんな状況になっても、死なない程度の金しか出さない。積極的に生きたいと思わせることは何もしないのに、支配層になった桃らだけが税金でいい思いをし続ける。

 

 

 

 

 この国では、犯罪者と思式権力者が税金でいい思いをし続け、ただ払わされるだけのものはいつまでたっても奴隷のような扱いをされ続ける。
 
 私も、まともに行政運営をしているのであれば、自分の金もうけにまい進できるのであろうが、ここまで邪魔ばかりされて、その中で彼らばかりがいい思いをし続けるのは我慢の限界を超えている。
 
 最低限、選挙でまともな候補者に投票してほしい。隠れ自民党の地方議員や首長には投票しないでほしい。
 
 さらに、できるなら、無駄をなくし、減税をしようといってくれるものに投票してほしい。
 
 さらに、できる人がいるのなら、そしてこの国、地方を、清須市を良くしようと思う人がいるのなら、その思いを公言し立候補してほしい。
 
 私は、自分が自分で稼げる金もうけのために専心したいのだが、これを邪魔し、犯罪者まがいにくすねていくものらに我慢がならない。
 
 全市民のためといって議員、市長になったのなら、そのために専心すべきなのではないか?
 
 国が好き放題やっているから、自分らもいいだろうなどというような人を馬鹿にしたようなことはいい加減やめてほしいものだ。
 
 といっても陳情しても、公表もしない。税金を種に遊ぶ金にするのもやめないのだから、全市民が立ち上がり、選挙で彼らへの投票を他の人に変えて、権力の座から引きずり落とそう。
 
 ただ黙って、奴隷の用に貢がされるのはやめようではないか?

 

  遅すぎるのかもしれないが、減税をしようとし、国会のおきて破りを続けるれいわを私は応援したい。

 

 清須市にも、種をまいてほしいものだ。

 

  今の現状は植民地支配を受けていたインドと同じ状況だろう。ガンジーさんの偉業の秘密を知りたくて、今この本を読んでいる。なかったと思われた電気が読めることは、私はとてもうれしい。変えられるかどうかは和かrないが、私のできることは極限までしていきたい。

 

 時に、感情に振り回されて逸脱し、自分自身嫌になることがあるにしても。