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”令和4年12月議会一般質問(枇杷島橋のあり方について)”高橋てつおブログ記事より
最近は煩わしいというのか,腹立たしいというのか、あまり傍聴にも、ネット配信にも見ていなかったのであるが、ホームから出ていたので、たまたま読みに行った。
感想はといえば、なんだこれ!!というものでしかない。質問に対しての答えが出ていないし、枇杷島橋の位置づけ?
それよりも先に、美濃路の観光資源となりうる屋根神様のあった家がすでにほとんどなくなっている事態は放置し、これからも、こうしたものが減っていくということに対しての危惧も一切ない。
本来であれば、私が子供のころに観光資源として、保護地域指定し、改築をさせないようにして、妻籠のように、過去の遺産を保護すべきものを何十年も前から放置してきただけではないか?
いまさら、一部を観光資源といっても始まらないし、数日前に終わった祭りにしても、花火もなく、私自身散歩に行かなければ、祭りだったということを忘れていたくらいだった。
それほどに過去から今まで居座り続けてきた政清会というのは、清須市にとって害悪でしかない存在。
まあ、高橋氏にしても、議員をやってきているにもかかわらず、指摘すべきであり糾弾すべきものを放置してきたということではあるのだろう。
私としては、いかがなものかと思うところもある。
それよりも先に市長の答えともならない答弁、どうにでも取れるようなことしか言わないこういう態度は、今の自民党と同じ。まさに自民党政治ここに極まれるというところだろうか?
自分の意思ではなく、下から上がってきたものをただハンコを押すだけの業務。これで一千万町の年収を取っていき、期が終わるごとに多額の退職金を得ていくのは暴利でしかない。
実質的に何もせず、金だけ持っていくという自民党政治ここに極まれりというのを地で示している清須市政。
自民党政治、利権政治とともに終わらせない限り、庶民の利益はないに等しい。自ら行動をし、勝ち得るという気概を持つべきだろう。
最低限、選挙に行き、投票すること、自民党政治を終わらせること、これが、庶民が持つべき最低限の矜持ではないだろうか?
最低限の次は、何とか供託金を用意し、立候補し、庶民のための政治を行うのだという思いを表すこと。
勝とうが負けようが、関係ない。
庶民のための政治をしようという意思を示すことが、大事なのだ。幸いなことに、市議会議員選挙においては、供託金没収はなかった。前回選挙においては。
虎の子を失う恐れはほぼない。私が訪問した候補者は家にいた。話をすることもできた。それでも、供託金は没収されなかった。
供託金は、確か30万だ。
高いパソコンを買ったと思う金額で、場合によっては、年収600万ほど得られることにもなるのなら、今無職なら、考えてもいいのではないか?
ダメでもともと、当選したら、職にありつけるし、ほぼ大半が休日のようなもの。私なら、ほぼ毎日通い詰めで財政課などで金の出入りを調査し続けるのだろうけど。
少なくても、隠れ自民党の与党会派、犯罪者集団政清会を排除する必要性は大いにある。このために、一度でもいいから、選挙で立候補してみてもいいのではないか?次の選挙は、大穴の連発になるだろうことは予想できる。
そして、めんどくさいことも形式的な形さえ、整っていれば、あとからごちゃごちゃ言われることもない。これは経験してきた私が言うのだから間違いはない。選挙管理委員会も所詮はざる。実質的な選挙資金の支払いの正当性に文句を言うことはない。
だからこそ、私の指摘する違法不当な支払いも見過ごされてきているのだから。
立候補はハードルが高いという人でも、一度選挙資金の金の動きを調べてみるのもいいかもしれない。胡散臭い金の動きは簡単に見ることができる。
関心をもって見続け、指摘することが、民主主義の始まりなのかもしれない。