後捨てるものはといえば、金もうけの邪魔ばかりするこの国か?みんなが投票に行き、まともな国になれば
長く大切に使い続けているものある?
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ほとんどすべてがそうだった。ネジ一つにしても、使いまわしをするためにとって老いたり、壊れたものにしても部品取りのためにとっておいたり、服もやぶれたなら、ぼろにして使ったり、今は昔ということになります。
パソコンも、安いものばかり買ってきて直しては使っていたので、予備などのために、7台ほど今日、日が変わったので昨日処分しようと思ってましたが、通りがかりに買い取ってくれる近いところがあったので、そこで買取に出そうと思ってます。
そのほかのものにしても、大半が処分してしまい、ほとんど残ってません。
非居住者の要件というものを考えると、どうしても物を持っている状態にはできないので、一年ほどで三回引っ越したかな?そのたびに処分してきて、いよいよ実家の片づけが終われば、契約の残っている書類とかしか残らないことになるでしょう。
過去にしてきた裁判の記録も、ある程度捨ててしまいましたし。ずいぶんさっぱりしたものです。
物を捨てるというのは、ある意味これまでの自分を捨てることに等しいことがよくわかりました。愛着のあるものを捨てるということが、苦しいということがよくわかりました。決心がつくまでの過程はかなり苦しい思いもした。
これもまた、今は昔の話になります。
そうこうして、今買うものは、食べるものと飲むもの、これだけ。実家にいるから家賃光熱費などはかからないし、一か月の支払いは、約3万弱くらいになりそうです。
食べるものと飲むものは自分で買ってきて、食べているので、基本的に中食ばかり、調理道具もすべて捨ててしまったので、不経済なのですが、移動を常とする生活に変える必要から考えると仕方ありません。
ここまでして、国民を追い出そうとする国や地方っていったい何なんだろう?と思うことしきりですが、補助金などを受けている会社、個人などにしてみれば、儲かっていようとそうでなかろうと税金から金がもらえるのだからということなんでしょうかね?
私も法人は作り持っていますが、本店移転登記などができずに、何もできない状態になっていて使いようがありません。まったく放置しておくしかしょうがない。
うまくやっている人は、赤字決算をして、補助金を受けて存続させているのでしょうが、制度を知っていても、めんどくさい手続き、決算処理、云々。税理士などを儲けさせてまでやりたいとは思わない。
そもそもの収入の口がまったくなくなっては、どうしようもない。
うまくやっている人たちは、税金から得られる金でもって、政治献金をし、さらに、税金を得る。そんなこんなで、普通の庶民はただ働いて貢がされる奴隷とさせられている。
私はいつも下からしか見ていないが、上からの目線も持ってみているから、こうしたことを知ることができる。親しく付き合ってくれた取引先の社長たちのおかげなのだろう。
うまく税金からの利益を得ている者たちは、代弁してくれる政治屋がいるほうがやりやすい。それで、脛に傷ある政治屋を抱えているのだろうかね?
清須市の与党会派、政清会も選挙違反で当選した議員がおり、疑いのあるものもまだ数人いる。私が犯罪者集団といういわれである。隠し続ける隠ぺい体質もまた、そのいわれでもあるのだが。
こうした議員を抱えていれば、公表するといって操ることもたやすいからやりやすいのかもしれない。
いずれにしても、これのしりぬぐいをさせられるのはいつもまじめに働く庶民ということになる。自民党の裏金も、こうした地方議員、首長まで回っていることは広島の買収事件の例からも想像に難くない。
その中での安芸高田市の市長交代からの映画もできて、いよいよ地方政治の闇が腫れようとしているのかもしれない。
もっと早く気が付けばよかったのだろうが、気が付いたとしても、それぞれの政治に対する意識が欠落して、投票に行かない状況が続けば、やはりどうにもならなかったのだろう。
今は、私が何十年も前から腹立たしく思っていることを同様に思っている圧倒的大多数の人がいるようになってきたと思っている。
そろそろ地方から、自民党政治を終焉させる必要があるだろう。自民党の根っこはやはり地元にあるのだ。植物が地に根っこを張り、茎を通して葉や花に栄養を送るように、華々しく見える代議士に栄養を送っているのは、地元の地方議員、首長なのだ。
ここから変えていかない限り、一時期、政権から落ちたとしても、わずかな間で戻ることは容易に考えられる。地方から徹底的に根っこをこそぎ落とせばそうしたこともできなくなる。
これは、住民の大半が、投票に行き、自民党に反対意志を示すことから始まる。まずは清須市長選挙からになるだろうか?
すべての選挙で、自民党、隠れ自民党の公職者に嫌悪感を示し続ければ、できないことではない。
とられていく金の大半が、一部の人間の手に渡るのを阻止すれば、すべての人の利益を取り戻すことができると私は思い、もがき続ける。やれるだけのことをやり、ダメならいよいよこの国を捨てる時だ。
そのために、すべてのものを捨て、毎日書き続け、できることをするとともに、ダメな時は捨てるという思いをもってただ息をしている。楽しみもないし、生きているという実感もない。ただ息をし、モノを食べ、飲むだけの面白くもない毎日を過ごしている。ゴミになることがわかっているから、ほしいものもなくなった。買う気もしない。
ただ、生きた屍のようになってはいるが、これまでされてきた仕打ちは覚えていて、何とかしたいと思っているだけ。復讐心なのかもしれない。
政治に巣くうごみをゼロにしたいものだ。ゴミゼロの日というのだから。