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世の中の当たり前は当たり前ではない。あるべき姿に戻すために、選挙に行こう。反社与党を落とそう。
自転車に乗れたのは何歳?
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小学校の二年生ころだったかな?何歳になるのだろう?
今は、もっと小さな子がのっているのだから、すごいなと思う。一輪車も乗れる子もいるしね。一輪車は練習して、ちょこっとはましになったが、いまだに乗れない。
気になったものは一応何でもやってみるのだが、体をくねらせてのっているボードはやったことがないな。
もう体がついていかないような気がする。フルタイムの仕事で、ほとんどの間接に違和感が出るようになったし、手などは、いつもしびれているような、違和感がある。
まあ、パソコンのキーボードくらいしか今は使ってないから、いずれ良くなるのかもしれないが、回復がかなり遅くなっているのは否めない。
いろんなところでいろんなことの首を突っ込み、いろんなことを知った。
こんなもんだと思っている人も多いのだろう。そもそも論から考えると、ありえんことばかりなのだが、みんな我慢させられているだけではないだろうか?
世の中の当たり前が当たり前ではないということに気付くべき時なのではないだろうか?
裏金問題は、当たり前が当たり前でないことを如実に示しているといってもいいのではないだろうか?
お金があるところにお金が入ってくるのは当たり前なのだが、これに政治が関与して、富の再配分を妨げ、お金のある所にお金を還流させるのは当たり前のことになっているが、当たり前のことではない。
あるべき姿をゆがめているだけのこと。これで、税金が関連企業、天下り企業などに回り、その一部が政治家に回ってくる。その金額たるや、普通の家計の一年分は当たり前のよう。あからさまにおかしい。
地方は地方で、企業献金などはないのかもしれないが、補助金で潤っているであろう中小企業、個人企業はある。これを行わせるために、議員を立てて、議員の無駄遣いを容認しているのもまた同じ構図の中で、本来あるべき姿ではない。
当たり前のように行われているものが、おかしいということを隠蔽して表に出てこさせないようにしているだけだ。
そのために、選挙違反も常態化し、捕まらない状況も当たり前のようになっているのだが、これもまた本来あるべき姿ではない。あからさまにおかしい。
本来あるべき姿は、全体の奉仕者として、一部のものに税金を回すというようなことがあってはいけない。
今ある当たり前は、当たり前ではなく、本来あるべき姿をゆがめているだけなのだろう。
では、本来あるべき姿に戻すためにはどうしたらいいか?
これも現状からすれば、方法はただ一つ。選挙に行き、居座るべきではないものを落とすという投票行動をすること。
いくら金を持っている企業を抱き込み、金をばらまいたとしても、その他大多数が、投票で該当する人物には投票しないと決めてかかれば、落とすことができる。
すべての人に金を配ることはできないだろうし、大規模に金を配れば、摘発せざるを得なくなる。それに、金で動く人ばかりではない。
国も、地方もまず、市長から議員に至るまで、反社自民党をまず落とすという固い意志を持ち続けること。これが、必要であろう。
口先一つで、普通の人の一年分以上の金を持っていくものが代表でいていいはずはないだろう。
そして、支援者だけに利益を与えようとする議員、市長がいてもどうしようもないだろう。
今は、大多数の一般人の受けている恩恵は、国が決めたこと、周りがしている範囲でしかない。
本来はもっと多岐にわたり、もっとたくさんの恩恵が受けれるものを、ごく一部の人間が持ち去っていっているようなもの。議員、市長らが実際のところ背信的な泥棒ということではないだろうか?