当たり前のことを当たり前に言うことが役所にとっては嫌なことなんだろうかね?
主権者として規定されているのだから、主権者、すなわち支配者として当たり前のことを当たり前に言っているだけ。
権力を預かるものとして当たり前に受け止め、道理に沿ってことを行えばいいものを。権力を振り回し、横暴を極める。
自覚のない住民が多すぎるということなのだろうか?
何百年と渡る圧政に、遺伝子が拒否しているのだろうか?
現憲法ができて半世紀、権力分立も癒着のもとに機能しなくなっていることも明白。役人天国、国民地獄が続くのをいつまで放置するのだろうか?
今日は、朝から微妙に頭痛が続いて、薬も効かない。気分もブルーだ。
アルプスの少女ハイジと同じように、すむ場所が変われば、すぐにでも治るだろうが、この国の中では大して知れている。
ハイジにとって、アルプスが当たり前の環境であったところ、引き離されて病気になった。
人が本来あるべき姿、そうあるべき環境ではないところにいることはストレスでしかない。
犯罪者が支配者として居座る環境。これがまともでないことは明白。不当に住民のための税金を懐に入れる議員も同様。不愉快極まりない。知らないところで、金を抜いていく、すり同然の所業。
国全体がしていることだから、かまわないというのは理屈に合わない。
市長が人としての道理をわきまえず、浪費し、特定の者に血税を使うことを良しとするのを放置するべきではない。
これだけではないことは明らかだからだ。
犯罪者が捕まれば、通常余罪がある。一つ悪いことをしていれば、その10倍は余罪があると思われる。
だんまりでやり過ごし、税金をせしめていくようであれば、この地域は破滅に至るまで搾取され続けるだろう。
日本の国の精神障碍者は多い。自覚があってもなくても、原因の一端はこの腐りきった政治に一因はあるのだろう。
障碍者になったとしても、国保税はむしっていくのだし、何らの救済策はない。生活保護は法人には受けさせないという暗黙の了解でもあるのだろう。
それでも、ここでは受けたいとは思わない。
当たり前のことを当たり前として受け止められない役所なのだし、地域なのだろう。多様性という言葉はあってもここにはないということなのだろうし。
ここには長くいすぎたということなのだろうかね?生きるのが長すぎたのかもしれない。眠る時、目覚めないでくれと思う人がたくさんいる。私もその一人だ。
こんな政治をしていて、恥ずかしいとは思わないのだろうか?主人としての自覚をいまだに持っていない住民も、恥ずかしいと思わないのだろう。
当たり前を当たり前にすることが、民主主義といわれている中で、こんなに機能していないとは?
うんざりだ。