お久しぶりです。
皆様年明けはどのようにお過ごしでしたか?
今年も暦の関係で主人は早くも4日から仕事始めでしたが、私は逆に年末からの怒涛の仕事を終え、ようやくゆっくりしているところです。
明日はもうアイスエクスプロージョンの開幕ですね。今日はメディア公開があったようで各社一斉に内容に触れています。
今日になってミハル・ブレジナがIN!!
前夜祭の盛り上がりに私も気分一新いよいよ楽しみになってまいりました。
今回はかなり大ちゃんがプロデューサーとしても関わっているようですね。
かなり昔からゆくゆくはプロデューサー的な仕事をしてみたいとおっしゃっていた大ちゃん。
以前はそんなコメントを読むたびに「いやいやあなたが主役でしょう?」と突っ込みたくなってましたが、私も年齢が上がるにつれて段々とプロデュースという仕事の意味が分かってきた気がします。部分ではなく全体を司りそれに責任を持つ。つまりそれこそが本当の意味での自分の作品となる。
ま、私自身は到底プロデューサーが務まる器ではありませんが、自分より他者の視点を基軸に置くためにはより高度なコミュニケーション能力が必要なことくらいは理解してます。
それは決して一歩引くのではなくむしろ相手の心に踏み込んで抱きしめるほどの勢いが必要なことも。
知らず知らず人と交わりを避け、人の間に垣根を創りやすい自分には中々出せない勇気ですけど、それがとても重要なのだと我が事としても認識するようになりました。
アイスエクスプロージョン2023は現地で観ます。これまでのアイスショーとはまた別の視点で見届けることができそうで今は本当に楽しみにしています。
まあネタバレもちらほら上がってきましたが、やはりファーストインスピレーションを大事にしたいのでなるべく見ないようにして(そう言いつつ結局見ちゃうんですけど)プロデューサー髙橋大輔氏にとにかくめっちゃ期待しまくってます。
さてここからは私事です。といっても何があっても大ちゃんに絡めてしまうのは私の癖でしてどうかお許しください。
昨年12月に父が他界しました。容体が悪くなったと連絡を受けてから1週間のあいだ、ゆっくりと最期の時間を過ごせましたし、
天寿を全うできたと思うことにしています。
コロナ禍で面会するにも何かと支障がある中、家族の穏やかなひとときを創り出すため出来る限り便宜を図ってくださった施設の方々に感謝するばかりです。
こういう状況になって以来報道では知ってましたが、いざエッセンシャルワーカーの皆様の献身的な姿を目の当たりにして、その尊い姿に心打たれました。
父はコロナではなく別の病気でそれこそ寿命でしたけど、介護してくださる方々が次々と感染し緊張高まる中、なるべく接触を避けるよう非常口からの出入りを許してくださったり、全身防護服に身を固めつつも笑顔を絶やさず穏やかに対峙してくださり、頭が下がりました。
また思いがけず多くのご近所の方々が極寒の朝にも関わらず集まって下さり、父との最後の別れを惜しんでくださいました。
時節柄参列者は少数でしたが、お経をあげてくれたお坊さん達も、見送ってくださった看護師さんも、また主治医の先生もみな父からすれば彼らの子供時代からその顔を知っている縁の深い人ばかり。
父が自分の子だけではなく、地域全体の子供たちの面倒を見て、そして最後は彼らにお釣りがくるほど面倒を見てもらって旅立ったことで、私も人の情けの深さに触れられました。おかげさまでとても温かいものを今、心に宿すことができています。
生まれ育った土地で一生を過ごすとはこういうことなんですね。本当にありがたいことです。
葬儀の翌日から溜まった仕事に追われ慌ただしさに悲しみも半減、元旦は心穏やかで静かなお正月を迎えられたのですが、ところが年明け早々中学時代の同級生の訃報が相次いで私の元に届きました。
こちらには参りましたよ。
だって、さすがにまだまだそんな歳じゃありません。あまりにも早すぎる。。。
そんなわけでこの年末年始にかけ生と死について真正面から向き合い考える時間が増えたのですが、やっぱり今生きている時間をなるべく大事にすると言うことと、もう一つ、これは自分に対する慰めなのかもしれませんが、愛が羽ばたくものであるかぎり人の死はすなわちすべての終わりではないという想いに至りました。
愛は羽ばたくもの
という考えは村元哉中・髙橋大輔組の今期EX 「love Goes」に着想を得たんです。
ってもそんな大層な理屈じゃないのですが、父の葬儀の日と重なってたせいでしょうかこの曲と演技がひたすら私の脳内でリフレインして止まないので、歌詞を改めて調べてみました。
和訳を読むと相手のことを考え尊重するあまりに恋人と別れた人物の気持ちを歌ったもので「愛は去った」という印象を受けますが、それだとどう見てもかなだいの振り付けとマッチしないんですよね。哉中ちゃんによるとこのプログラムは解放を表現しているのだそうで、ますます難解です。
作曲者サム・スミスによるとこれは旅立ちの歌なのだそう。確かに”Goes”を”去る”ではなく”行く”と考えればポジティブなイメージになります。愛は離れるんじゃなくて次の着地点へと羽ばたいていくんだと。
クリスマス寒波の襲来で車で往復するには交通状況が心配だったので家には帰らず葬儀までの間ずっと付近のホテルに主人と滞在していたのですが、暦の関係でスケジュールがまる一日空いた日に思い立って高遠の城址公園を散策してきました。
以前アメーバ限定記事で書いたことがあるんですが、もしかしたら戦国時代主人のご先祖と私の先祖が高遠城で共に戦ったことがあるかもしれないというご縁がありましてね。
一度くらいは二人で訪れてみたかったんです。
しかし高遠といえば桜の名所。シーズンになれば高速道から大渋滞は必至でして、もともと混むところは大嫌いという主人の性格からして二人で行くのは絶対に無理だって思ってたんですよ。
でもこれも父がくれたチャンスだと思い誘ってみたら、まあこんな時ですし私の気持ちを慮ってくれたのかあっさり付いてきてくれて、ひと気の無い真冬の高遠城址をゆっくり歩けたというわけです。
せっかくだから何かご先祖の手がかりになるものはないかと伊那市立高遠町歴史博物館に立ち寄ってみたところ、戦国時代に関しては目新しい発見はなかったんですが、そこに展示されていた高遠石工に関する歴史資料を見てふと父の父、つまり私の祖父の事を想い出したんです。石仏製作者の名前に憶えがありました。
これって確か子どもの頃おじいちゃんが調べていたんじゃなかったっけ?
そこで祖父の名前をネットで検索してみたらそれに関する資料をいくつか発見することができました。やっぱり私の記憶違いじゃありませんでした。
で、その足跡を追っていくとつい最近、2022年10月に高遠石工を研究されていた方が本を出版されていたという記事を見つけました。今はもう70を超えていらっしゃるんですけど、その方のブログを読んだらまだ小学6年生だったときに祖父が部長を務めていた歴史研究会に入会したことを書いていらっしゃいました。まだ10代だったのに70歳越えの研究家たちの錚々たるメンバーが集う会に入会してしまって随分と場違いだと感じた、でもそれがきっかけで今までずっと郷土史研究を続けてこられたとか。
私も結構長野市が大好きで地元の歴史に興味津々なんですけど、これも血がなせる業かなと思ってはいました。でもそれが血筋だけじゃなくって、こんな風に意外なところに種が飛んで行って根付いたのだと父の死を機に知ることになったのにはご縁の不思議を感じましたよ。
生きているということは決してその本人だけの人生ではない。その生き方は良きにつけ悪きにつけ、多方面に波及して跡を残す。
何かに夢中になる事、それを貫き通すこともまた愛。その愛は翼を持っていて時を超えて遥か高く遠く飛んでいく。
だから終わりはないんだと
自分にあとどれくらい時間が残されているのかはわかりませんが、まあ長く見積もってもせいぜい数十年がいいところです。
その間にどれほど愛に翼を持たせることができるんだろう?
うーん 無理かもしれないなんて思いつつ
今は祖父や父の時代とは違いネットがある分飛ぶ能力には長けていますからね。せいぜい悪いものだけは飛ばさないように気を付けつつ、今年も大ちゃん愛を語れたらななんて思っております。
ところで今年の元旦は長野市の地附山公園前から初日の出を見たんですけど、これがまたとっても幻想的な風景でしたのでシェアしますね。日の出の30分くらい前から立っていたのですが、長野の街が霞に覆われて素晴らしい眺めでした。
長野市の東側の山並みは2000メートルくらいですが10万年前はみな火山だったんですよ。稜線がなだらかでなんとも優美です。初日の出は四阿山と根子岳の左側から上ってきました。
長野市にたなびく霞に初日の出の光が反射してなんとも幻想的。まるで映画の合成写真のようですが本物なんですよ。
元旦からとても神々しい景色を拝めました。この街に住めることが幸せです。
とか書いてるうちにエクスプロージョン当日となりました。
大ちゃんが、哉中ちゃんをはじめ仲間と創り出す空間はいつも穏やかな優しさに満ちていることを知ってますが、今年はさらに新しい面々とどんな世界を繰り広げてくれるのかワクワクしています。
これまでたくさんの愛に翼をつけて羽ばたかせてきた大ちゃんですが、このショーを通じ若いメンバーにこそ新たな翼が生えることを誰よりも望んでいらっしゃるはずです。その羽ばたきをこの目で見て少しでも輝きを伝えることができたらいいなと思っております。
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