大宮から赤羽まで戻り、赤羽の銭湯に向かいました。
その前にコロナ禍が終わったら行ってみようと思っていた赤羽のんべえ横丁に立ち寄り。
祭日の夜ならサラリーマンでそんなに混んでいないだろと高を括っていたら、地元民と一般観光客で混んでいました。
多分、自分と同じようなNHK「ドキュメント72時間」や日テレ「所さんの笑ってこらえて」等メディアで紹介されたのを観た人が多いのだろうと…
人の往来の少ない所しか撮影できませんでした。治安はそう悪そうではないですが、カメラを向けて気難しい呑み助に言いがかりをつけられることにご用心。
どこも人気店は行列が出来ていました。おでんの出汁で日本酒を割る店とか、うなぎ屋だとか…
せっかく来たのに入店できず仕舞い。
結局、チェーン店の焼きトン屋へ。スマホでメニューを注文するというメンドクサイ店で最初、それと知らずにカウンターから口頭で注文していたのを困惑されて…
このすぐ横に赤羽小学校があり、えらく猥雑な場所に文教施設があるもんだなぁ…と思ったのでした。随一の歴史ある小学校なので、かつてあった工場地帯に伴った飲み屋街は後から盛り上がってきたのでしょう。
ここを訪れた後、暮れの12月にこの飲み屋街辺りを4棟焼く火事があったのですが狭い飲み屋街の通りに消防車の進入が阻まれ、赤羽小学校のプールの水をポンプで揚げて消火に使ったとか。鎮火まで7時間かかったそうです。
訪れた場所でその後、たまにこういう思わぬことが起きて景色が変わってしまったりすることがあるので記録をしておくのも大事だな…と。
のんべえ横丁から東北新幹線沿いの丘陵地を登って行って、環八通り沿いの銭湯へ。
地図では高低差が表示されていないので、頭の中のイメージと合わないことがあります。
赤羽駅から近い銭湯はありましたが、名前の響きから選んだ「お玉湯」へ。
古風な名前だな…と、和風建築の銭湯かと勝手に思っていたら…
鉄筋3階建ての銭湯でした。
銭湯の造りは昭和っぽい印象です。
最初、一人で入浴していたら、後から草野球メンバーらしいオジサンが大勢入ってきました。
自分が入った後で銭湯が賑やかになるのは嬉しいです。福の神か招き猫になったような自意識過剰な心情です。
神戸から来たと告げると写真を撮らせてもらえました。もちろん玄関と休憩所だけです。
小さめのマンションにも見えますが、経営者家族の家かもしれません。郵便受けが4つあったので集合住宅か。
1993年に現在の建物に建て替えられたということです。