月の沙漠 | 文京区小石川 もものマークのクリニック 院長ブログ

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文京区春日駅最寄りの形成外科・皮膚科のクリニック。
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『月の沙漠(さばく)を はるばると
旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍置いて
二つならんでゆきました』

今や遠方他県の高校に進学し、寮生活を送る長男だが、幼い頃の彼は非常によく泣く子であった。特に赤子のときはひどかった。

布団に置くと泣くのはもちろん、抱き手が座っても泣く。家だろうが外だろうが客が居ようが居まいが、抱き手が立って抱っこした状態のみを許容し、その角度計と高度計は驚くべき鋭敏さだった。

そんな長男を、ある時私の父が抱いて、軽く揺すりながら歌った。歌は『月の沙漠』。不思議なことに、長男はすぐさま泣き止んで、父の腕の中ですうっと眠った。得意満面の父。それ以来、父は赤子の長男が泣くと、決まって「これはジジの出番かな」と言って抱きとってくれた。『月の沙漠』の効果は、正直あったりなかったり。それでも父は懲りずに歌った。他にも軍歌や唱歌を口ずさんでいた記憶もあるが、覚えているのは『月の沙漠』だけだ。




『月の沙漠』は、遠い昔、幼かった弟と私との風呂タイムで、父がいつも歌っていた歌でもあった。風呂場に響く少し物哀しいメロディ。

『金の鞍には銀の甕
銀の鞍には金の甕
二つの甕は それぞれに
紐で結んでありました』

4/20水曜日。
父は突然、母のところに旅立ってしまった。

今月に入り体調が振るわず、仕事を休み自宅で療養をしていた父。それでも徐々に快方に向かい、私や、私の夫や、従兄弟(父の甥)が交代で食事を共にした時には、85歳とは思えない食欲を見せていた。最初はしおらしかった態度もなりをひそめ、憎まれ口も復活してきた。

日曜には我々に黙ってひとりで日本橋三越へ買い物に行き、寿司を食べ、お茶をして帰り、事後報告で
「リハビリは完璧だ」
と威張っていた。
21日には仕事にも復帰するつもりで、遠距離通勤用の特急券の予約も2週先まで済ませていた。

19日午後の外出後、少し具合が悪く、マンションの部屋まで警備員に付き添ってもらったという報告を受け、心配した私が様子を見に行くと
「飯を食わんと力が出ない」
と言い、自分で買った弁当を勢いよく平らげてから、私が差し入れたバナナを頬張りつつ
「週刊朝日の新刊を買ってきてくれないか」
と頼んできた。近所のコンビニで買って来て、しばらく一緒に過ごした後、じゃあ帰るね、明日もまた来るね、と席を立つ私に

「ありがとね。どうも!」

そう言って片手を挙げた。

玄関まで私を見送る元気は無い父に、ドアを閉める前もう一度、また明日ね、と声をかけた。

「ありがとね。」

それが、最後に聴いた父の声になった。
また明日、が叶わないなんて思わなかった。

25日、火葬場帰りの車の中、晴れた空を眺めていたら不意に『月の沙漠』の歌詞が頭に浮かんだ。




『さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人はおそろいの
白い上着を着てました』

懐かしい歌。
長男を抱きながら嬉しそうに歌うおじいちゃんになった父、湯船で気持ち良さそうに歌う若い父の姿が交互に脳裡に蘇る。

あまりにも唐突な別れに、未だ気持ちが追い付かないが、心のどこかで父らしい最期だと感じている私もいる。
何よりも、大好きだった母のもとに、うっかり行けてしまったことを、喜んでいるようにも思う。

『曠い沙漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧にけぶる月の夜を
対の駱駝はとぼとぼと
砂丘を越えて行きました
黙って越えて行きました』

どこへゆくのであっても、二人で居れば大丈夫。
お父さん、もう、寂しくないね