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去年65歳になってからつくづく思うのは、女性の時間って短いんだな~ってことです。この旨のブログを書いたのは、5月27日でした。

 

更に考えたのは障害者として働いた時間も、短かったなぁと思いました。それは、東大君の差別と偏見が原因がだとと思います。そのこともブログに書きました。

 

その1からその2で、東大君が私の上司になった時から、事業所中が集まった場で私のことを「良い加減」と言ったことまで書きました。ここまでは、ブログに何度も書いています。

 

東大君は私の仕事を全く同じ方法でデータを作っていたに違いない。そして私はそれしかできないと言う偏見があり、だから私の仕事の評価も最低で当然だと思っていたことに気がつきました。

 

その後、管理職がどうしたかを書こうと思います。何故こんな事態を見逃したのでしょうか。これからは、事実は分からないので、私の妄想と思われても構いません。

 

私は、事業所中の人が集まった場で、東大君の発言に意見しようかと思いましたが、

「衆人の前で東大君に恥をかかせても・・・」と思い、

「朝礼で話せば良いや」と考えました。

 

自分が仕事ができないとは思ってもいないでしょうから、東大君が私の意見に同意するはずはないし、益々怒らせて意地悪される可能性だってあります。そう考えたのは、既に会社を辞めてしまってからですが、ではなぜ私はあの時東大君と対決しなかったのか、あるいは管理職がよってたかって、私と東大君の対決を阻止したのではないかとも考えたのです。

 

こんな事態になり、東大君に制裁を科す必要はあったのでしょう。しかし、数年間も部下を全く管理していないなんて、しかも私は一般職です。その一般職が出したデータは、論文や体外診断薬の承認申請でも使われています。論文については、大学病院でデータを作ったことに表向きはなっているので、大学教授などの大学側の人の名前や、会社側は商品化した開発側の人や、性能評価側の私の職場の管理職や東大君の名前は掲載されていますが、私の名前はありません。従って、私は責任はありませんが、もし私のデータに欠陥があったとしても、東大君はその原因の欠陥を見つけることはできないのです。そしてそれが大学側に知られてしまったとしたら、どんな問題に発展してしまうことでしょう。

 

実は、その時の詳細な記憶は私にはないのです。覚えているのは、部長が全く新しい研究をしたかったので、そこで私と一緒に東大君と同じ職場を出て、全く新しい部署を部長は作りました。

 

最初は、

「部長は賢いな。『人件費は一般職なのに、総合職と同じように便利に使える』と思ったに違いない」と思いましたが、それは勘違いで、

「私と東大君を別の職場に話す必要があるが、私を受け入れてくれる職場はなかった。だから部長はかねてから考えていた研究をするために新しい職場を作れば、私と東大君を離すことがきる」そう考えたのでした。つまり、私んpために新しい職場を部長は作ったのです。入社から7年が経過し、私は職場移動は初めてでした。

 

私が移動した後には、いくつか欠陥が発覚しましたが、直接私の仕事には関係がない欠陥でした。

 

それは、大きな欠陥で事業所の女性の中で、臨床検査技師や薬剤師の資格を持つ人達が全国を回り、既に売ってしまった機械のソフトを交換すると言うものでした。

「なぜ、今までは問題が起きなかったのかなぁ」などと、私に聞こえるように話す人がいました。高学歴の人はこんなことをして、直接私に説明を求められない人が少なくないのです。しかし、私は頭を下げて、

「教えてください」と言わない限りは教えない。というスタンスでした。これほどまでに差別した人に簡単に教えては、単にお人好しですからね。しかし、その欠陥の原因に私は気づいていました。どうして高学歴の人は気がつかないのか、今も不思議です。

 

東大君から離れても、私がどんな仕事をしているかの詳細を、部長が知らないことは東大君と同じですが、

「どうせ、商品化されないのだから、私には関係ないし、責任もない」と思っていました。

 

東大君と同じで部長の評価も最低でした。私は障害に対する配慮を受けられずに、遅刻や休みを繰り替えしていたからです。そして入社15年が経った3月に会社を辞めました。部長から、

「障害者だからといって、一切特別扱いはしない」と言われたことがきっかけでした。それを知っていたら入社しなかったのに・・・。と思いました。

 

入社は大失敗であり、後悔しましたし、私の損失は膨大でした。

 

その後、障害に配慮を求めて転職を繰り替えしましたが、配慮は全く得られず、薬剤師としての仕事もさせてもらえない職場もありました。法律が整備された今では、障害者差別とパワハラと呼ばれる差別です。しかし、あの時は泣き寝入りしかできませんでした。

 

53歳でフルタイムの仕事は諦めました。一番最初の会社が特別差別的な会社だったわけではなく、極平均的な会社だったのでしょう。

 

60歳を超えた時からパートで働き始めましたが、ブラック企業ばかりで、解雇されたり倒産したりで落ち着いて働ける職場は見つかりません。

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