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去年65歳になってからつくづく思うのは、女性の時間って短いんだな~ってことです。この旨のブログを書いたのは、5月27日でした。

 

更に考えたのは障害者として働いた時間も、短かったなぁと思いました。

 

障害者の雇用枠で一番最初の会社に入社したのですが、この時は嘱託社員でした。入社前に

「嘱託社員は嫌なのでなので入社しません」と言っていたのに、

「弊社は国立大学卒がほとんどなので、嘱託社員で納得して欲しい」と言われて、

「それじゃあ、仕方が無いわ」とうっかり納得してしまいました。そして3年後に正社員になったのですが、処遇は一般職でした。

「一般職だったら、別に正社員で問題無かったのではないの?」と考え、また不満を抱えることになりました。この3年間は、一般職以下の処遇で働いていたと言うことだったことを思い知ったのです。これはりっぱな障害者差別です。

 

そして、障害者差別は、正社員になったところで解消されるわけではなく、差別は続いたのです。

 

私が

「一般職では不満だ」と言いました。すると、

「今回正社員になった人の中で3級だったのは、3人でその中の1人りなのですよ」と言われましたが納得できませんでした。

「だったら総合職の転換試験を受けなさい」と言われ、試験の準備をしている時に、右股関節の痛みが激しくなったので、手術を受けることになりました。

 

「失敗したな。これで総合職転換試験も受からないだろうし、手術を受けていたら結婚もできない。(既に28歳だったので手術の後に)結婚しても赤ちゃんにも恵まれないかも知れない」と考えました。

 

でも、私は低学歴なのだから高学歴の人と同じお給料をもらえることは現実的ではない。しかしだからといってこのままでは嫌だ。だから、少しでづつでも私の仕事を評価してもらい、ゆっくりで良いから昇給(昇級)していったら、それで満足しようと思っていました。

 

事実正社員になった時には3級で、翌年には4級になっていたので、それなりに正当に評価されていてのだと思います。しかしその後、まさか全く昇級しないなんて、思ってもみなかったのです。

 

東大君が私の上司になる前は、管理職直属で仕事をしていたので、私が出すデータやレポートなどは、そのまま私の名前で職場の外に回覧されていましたが、東大君が上司になった時からは、全て東大君の名前で回覧させるようになったことから、私の存在が東大君に隠れてしまいました。そのことに少しでも東大君の注意や配慮が向けられたなら、こんなに私は東大君に厳しい想いを抱かなかったのだと思います。

 

これは、東大君の偏見と差別が影響していると知ったのは、数年後でした。

 

ここまで書いたら、私の頭はフィリーズしてしまいました。今までにブログに書いてきたことを、繰り替えし書いているだけだからです。1日考えてから続きを書こうと思います。

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