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去年65歳になってからつくづく思うのは、女性の時間って短いんだな~ってことです。

 

12歳で初潮を迎えた時に、

「お母さんになれる体になったんだ」とうれしかったことを覚えています。もう1つうれしかったのは、夫からプロポーズされたときです。このたった2つが、うれしいと思った私の記憶です。

 

その数ヶ月後には股関節の手術を4回受けましたが、股関節の痛みは0(ゼロ)にはなりませんでした。

 

また飛んだり走ったりできるようになると期待していたのにな・・・。

 

その股関節の痛みがまだまだ強かったのに、夕飯作りを命じられたのは、中学3年生の時でした。

「嫌だ」とあんなに言ったのに最後は、

「分かったよ。やりゃあ良いんでしょ!!私が犠牲になればこの家は平和なんだよね!!」とやけくそになったことを覚えています。

 

高校受験も自転車通学できる高校を選びました。お弁当と教科書を持って電車通学はできないと自分では分かっていましたが、担任の先生や両親は私の不安に、全く気がついていませんでした。

 

高校を卒業する頃から、どうにか普通の生活ができるようになったので、一人前に進学や就職、結婚を考えるようになりましたが、父のDVのために恋愛には消極的でした。

 

恋愛しなければ結婚できないのに。このことに全く気づいていなかったのです。小学性の時に父から、

「男は女(女性)は誰でも良いんだ」という言葉が、私に恐怖を感じさせていたのです。そして隙あらば、男性からレイプされてしまうと思い込んでいました。

 

誰でも良いならば、男性はなぜ恋愛をするのだろう。女性との体の関係が欲しいからなのかな?そして結婚するのは、家事ができないからなのかな?と不思議でした。

ウーマンリブの運動では、

「女性は男性のトイレではない」と言われていましたよね。それで結婚するってことは、男性のトイレになることなのかと思っていました。

 

こんなことを考えていた私は、近づいてくる男性をシッシッと追い払って来ました。恋愛すれば、父のようにあれこれ命じられる。もうこれ上の負担はゴメンだわ。と思っていました。更には、父のDVにも苦しんでいたのでです。

 

学生時代私は、家事の負担に加えて、稼業(精肉店)の手伝いと学生実習やレポートに追われていて、寝る時間もありませんでした。父の友人は、

「もみじちゃんを遊ばせなければダメだよ。結婚できなくなるから・・・」と忠告してくれましたが、その本意には両親ともに気がついていませんでした。

 

大学3年生が始まる春休みに父が隣家に放火し、私はようやく家事と稼業の負担から解放されましたが、今度はお金の心配をするようになりました。奨学金でなんとか卒業できましたが、当時経験したお金のないことがどんなに惨めか。遊びに誘われたときの困惑。誘われなかったときの寂しさ。これは卒業して働くようになっても身にしみて、忘れられないものでした。

 

就職してからは、貯金は全くなかったので結婚資金をまずは貯めようと思いました。父の入院費と生活費の負担をしながら、ようやく資金のめどが付いた時には、股関節は末期になっていて、29歳の時に右股関節固定術を受けることになりました。

 

私は

「失敗したな」と思いました。なぜこの時期なのだろう。もう少し遅ければ、結婚できたかも知れない。また総合職にもなれたかも知れないのに・・・と悔しくて仕方がありませんでした。

 

それでも好かったこともありました。卒業後、多くの男性が職場にいて、私と同じことに悩んだり、共感できることもあることを知りました。そして私の男性不信は少しだけですが、回復していました。父のような人ばかりではない。女性と対等な関係を築ける人もいる、と信じられるようになったのですが、そうではない男性が多くいることも知っていました。結婚へのハードルは絶対超えられないものから、ハードルの先に少しだけ景色が見えるようになっていたのです。

 

実際に結婚について実行に移したのは35歳の時でした。手術後、倦怠感や不眠証、線維筋痛症の痛みを抱えていたので、結婚はまだまだ先だと考えていましたが、そんなのんきに構えていては子供が産めなくなると、ようやく焦ったのです。しかし、時は既に遅かったのかも知れません。

 

結婚相談所に登録して、夫と出会い結婚したのは翌年の36歳の時でした。そして不妊治療をしましたが40歳の時に妊活は諦めました。

 

昨日、里親になれるのは、男女が必要とのことと、その男女は40歳を超えてはならない。と言うことを教えてもらいましたので、改めて調べて見ました。https://www.moj.go.jp/MINJI/kazoku/youshi.html#:~:text=%E9%A4%8A%E8%A6%AA%E3%81%AF20%E6%AD%B3%E4%BB%A5%E4%B8%8A,%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%8A%B9%E5%8A%9B%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%98%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

養親は20歳以上でなければなりません。

法的に決められているのは、20歳以上という要件だけのようです。しかし養い親に関する年齢制限は、養子をあっせんする団体ごとに要件が違うようです。

 

私の場合は夫が賛成しないので、現実的ではありませんが・・・。でも、一人暮らしになったら、赤ちゃんは難しくても、なにか方法があるかも知れないと思うようになりました。簡単なことではないことは分かっていますよ。なにしろ私は障害者であり、線維筋痛症で苦しんでいるのですから・・・。

 

安易に判断すべきではありません。

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