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かいマムと申します。
現在夫婦共働きで長男きぃまる、次男ちゅけぷん、長女あーたんの3人の子供を育てています。
このブログでは妊娠中に胎児ポッター症候群と診断された次男の物語を綴っています。
入院半年をこえ、ハーフバースデーを迎えました。
前回のお話はこちら
腸管に、腸になる予定だった細胞が団子のように詰まっていたのを縫い合わせてもらって、腸を作ったちゅけぷん。ブラックジャックの世界や!!!
そのため消化機能が未成熟で母乳を飲めず、お薬ミルクのエレンタールというものを、さらにうっすうすに薄めて飲んでいました。(主な栄養は首から心臓に向けて入れているカテーテルで点滴投入)
しかし医療ミスから突然濃度の濃いものが来るようになり、
下痢、下血、胃残が続いていたのですが、一ヶ月ほど粘って根性で克服しつつありました。
そんな中、生後半年が経って、古巣のNICUに預けていた母乳をそろそろ廃棄したいと言われ始めました。
NICUの担当医だったS先生がちゅけはいつか絶対飲めるようになる、と、信じて、周囲を説得して、NICUの冷凍庫の一部をちゅけのために割いてくださっていたのです。むしろ半年も(一般病棟には大きな冷凍室はない。)
エレンタールの濃度の計量ミスが発覚したきっかけになったのは、下痢下血胃残にもかかわらず、ちゅけがすごく量を飲みたがるようになっていて、マムが病棟での担当Y先生にちゅけの飲める最大量を一度試してみたい、と、強くお願いしたことがきっかけでした。
つまり濃度はあってなかったけど、体が成長の方へ向かっているんじゃないかな、というサインを母であるマムがキャッチしたということなのです。
そこで、次の段階として、母乳を試してみたい、というのを強く強く主張してみました。
子どもの身体からくる欲求のサインをキャッチするという点においては、医師よりも母親の方が長けていることはままあります。子供の闘病は、患者本人と、親と、医師の団体戦なのです。
Y先生は上司の部長に相談し、部長さんがすぐにやってきました。
「お母さん、ちゅけくん、母乳トライしてみたいって話聞きましたけど」(京都弁イントネーションで)
「そうなんです。Nからそろそろ廃棄っていう話が来てるのもありますし、エレンタール急に濃度上がってもなんとか耐えたので」
マムの嫌味にうっすら笑いながら
「ほな、試してみましょか!!」
と、GOサインが出ました。
飲んだ量の記録が必要だったので、その場で搾乳し50ccほどを哺乳瓶にセットしました。
生後半年、初めて母乳を飲んだちゅけぷん。
何コレ、美味しーーーーー!!!!
と言わんばかりに瞬殺でした。
とりあえず、最初なので、母乳は50ccで様子を見て、経管栄養とエレンタールは据え置きで1日様子を見ることになりました。
続く