小説「壁」第三話 | 森本オレオの落書き帳

森本オレオの落書き帳

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ゆきえは時間通りに家にやってきた。

右手に買い物袋を持ち、左手にケーキの箱を持っていた。

僕はすぐ買い物袋を受け取り、彼女を中に入れた。

「相変わらず匂ってるわね」とゆきえは笑いながら言った。

僕はなんとなく笑えなかったので、ゆきえが右手に持ちかえたケーキの箱を指差して「今日のは何?」と聞いた。

ゆきえはカフェで余ったケーキをときどき持ってきてくれる。

どんなにつらいことがあってもケーキは人を幸せにしてくれるのよ、というのがゆきえの口癖だ。

「今日はベークドチーズケーキとバナナタルトと苺のミルフィーユよ。うちのミルフィーユおいしいからあなたに食べてもらいたくて」とゆきえは苺の香りがしそうな爽やかな笑顔で言った。

僕はゆきえのこういうところが好きだ。

照れ隠しをするように「何買ってきたの?」と聞いた。

「別にたいしたものじゃないのよ。ビールと材料ね。私は飲まないけどあなた飲むかなと思って」とゆきえはまな板と包丁を用意しながら、後ろを向いたまま言った。

ありがとうと僕は言った。

それから床に座りながらビールを飲み、ゆきえの後ろ姿を眺めていた。

真剣に料理と向き合っている表情や、野菜を均等にきざむ音、盛りつけまで気を抜かないその姿勢が好きなのだ。

ゆきえが料理をしているときはそれを見ていたいので、僕はあまり話しかけない。

それを知ってか知らずか、ゆきえも僕に話しかけない。

ゆきえとはこれからも一緒にいたいと思う。

ビールを飲み干してしまうと、ソファに座って新しく買ってきた本を読んだ。

本の登場人物に後ろ姿の美しい女が出てきた。

それを読んで僕は昼間の女を思い出した。

あれは本当に彼女だったのだろうか。

別に顔を見たわけではないのだ。

それに走っても走っても追いつかないなんて、やっぱりおかしい。

まるで悪夢の中で走っているみたいだった。

僕はまた頭の中で彼女を追いかけてみたが、やはり追いつかなかった。

神社で十回お参りしたところで僕は眠りに落ちた。