てきとーな美術辞典 -6ページ目

てきとーな美術辞典

辞典とか言ってるけどよく調べないで適当に主観で書いてますので信用しないで、気になったら他の文献も当たってください。ネットの情報をうのみにしてはいけない(戒め)

 ターペンタイン、テレビンとも表記する。松の樹液を精製した揮発性油。絵描きはふつう、油を薄めたり汚れを拭いたりするのに使う。

 

 植物性なのであんしん! かと思いきや、同じ用途の石油(ペトロール)より毒性があり、臭いがきつい。狭い部屋で使用すると人によっては臭気にやられて頭痛・吐き気などを催すようだ。何れにせよ換気を心がけた方がよい。

 

 テレピンは溶解力が高く、ダンマル樹脂等を溶かすことができるので他の溶剤と比べて非常に使いよい。美大受験生など日常で大量にダンマル樹脂を使用する人たちは、市販の高いワニスをいちいち買ってられないので必然的にテレピンで自作することになる。

 ダンマルなどの樹脂溶液とすることによって、絵の具を極度に薄く溶かした際の剥落事故のリスクを軽減することができる(望ましい状況ではないが)。

 

 テレピンには原油と精油があり、上記の、普段みんなが普通に呼んでいるテレピンは精油である。原油はバルサムといい、主成分は松脂である。元来は松脂のことをターペンタインと呼んでいたようだ。(ベネチアテレピンなどの形で画材として使う)

 各種の松の樹皮に傷を入れ、しみ出した原油を採取したのち水蒸気蒸留を行なって精製したものを「ガムテレピン」と呼ぶ。

 

 

 他、松の木を削って蒸留し、さらに石油精油で温浸(柔らかく蒸す)して脱脂する方法もある。こうして作られたものは「ウッドテレピン」と呼ばれる。

 Wikipediaによると「品質的にはガム・テレピン油が最上とされている」らしいが、「絵画材料辞典」にはウッドテレピンの方がはっきりした規格に基づいて生産されていて均質で、あまり差はないという。ただし松材を分解蒸留(乾留)したものは質的に落ちると記されている。

 

 テレピンは活性であるため、空気に触れていると「樹脂化」と呼ばれる劣化を起こす。酸素を吸収し、不揮発性の樹脂質を作るのだ。これは空気に晒されることと、光と高温によって促進される。なので保存は密封し、冷暗所に置くのが望ましい。樹脂化しているかどうかは、白い紙にテレピンを数滴垂らし、蒸発を待つと分かる。残留物がしみを作ったら、樹脂化している。

 

 テレピンは基本的な画材なので、絵の具メーカーはどこもこれを出している。品質はまちまちであるようだが、何がよいテレピンの条件なのか、私にはよくわからない。というのも、私の友達(材料にすごく詳しい)が、変なことを言うので、私はにわかに混乱しているのである。 

 その人は「乾燥すると残留物があるテレピンが高級品で、完全に乾くのは安物だ」と言った。

 そんなばかな、とは思いつつ、揮発性油が絵に何か残していって、いいことが起こるとしたら何が考えられるか? と思い巡らしてみる。しかし今だに合理的な推量を成すに至っていない。

 印象派の画家たちは風景を描きによく外へ出かけていたが、このことはチューブ絵の具の存在が重要な役割を果たしている。チューブ絵の具は、その原型が発明されたのが1828年のことで、それ以前は絵の具はその都度手練りで作っていて、保存するとしても豚の膀胱に詰めたりしていた。当時の(本来の)油絵の具は今のように硬練りではなくどろどろしたもので、外にキャンバスと絵の具を持ち出して制作をするのは困難だった。19世紀になるまで風景画はアトリエで制作されていたのである。

 

 そもそも硬練りがメジャーになったのは、そうしないとチューブに詰められないという事情からだった。発明と工業化で絵の具が便利に扱えて誰でも手に取れるようになった一方で、ある意味無理やり姿を状況に合わせることとなった。今の我々の感覚からしたら油絵の具とはぷりぷりして厚いのが当たり前のように思えるけど、それは本来の油絵の具の形ではなく、訳あって変えられた姿なのだ。

 

 油絵の具を硬練りにするには、いくつかの方法がある。一つは油の量を限界まで下げること。しかしこれは耐久性をも下げる危険がある。もう一つには、ロウやステアリン酸など分子量のでかい脂肪酸を添加して可塑性を与える。チューブ絵の具は伝統的などろどろの絵の具より、こうした高級脂肪酸の含有率が高い。

 

 印象派の厚いタッチを可能たらしめているのも絵の具が硬いからで、そういう意味で、彼らは絵画思想的に先鋭的だったのみならず、技術的な先端を反映してもいたのだった。でも絵の具の性能自体は、やはり従来のものと比較すると耐久性などは下がっているようだ。

 もっとも、チューブ黎明期の油絵の具は質がかなり悪かったとも聞く。やはり今までと全く別の方法での保存と使用を前提に形を変えるものだから、その処方に試行錯誤があったのだろう。印象派の画家たちもこぞって外に絵を描きに出かけて、それは新しい歴史の開拓ではあったけど、みんな自然光に目をやられて視力を落としてしまった。美術史上、印象派は目を悪くしてる人が極端に集中している。進歩に事故はつきものである。

 

 しかし、その中でもモネだけはもともと白内障だったようで、印象派の技術としてある輪郭の消失、光の散りなどは症状として説明できるらしい。とすると、彼にとってはその絵画の方法は内的なところから出たのではなく、自然に見えていたものを描こうとしたのであって、外に出たのも、強い太陽光が症状を強く引き起こし、それが風景をさらに美しく見せてくれるから……という自傷的な背景も見えてくる。

 彼はチューブ絵の具と同時に出現した画家だったからこそ、その特異さが評価されたのだろう。生まれるのが50年早ければこれはハンデにしかならなかったし、50年遅かったら注目されるような奇妙さとは捉えられなかったかもしれない。

美術において一番大事なのは想像力である(力説)。

 

これはロマンティシズム的な詩句では決してなくて、その概念の多様性ゆえに美術はこの能力に依存しているといえる。以下、私なりに説明してみようとおもう。

 

1 それは原理的に、目に見えるものを絵画や彫刻というフォーマットに落とし込めるのに想像力が必要である。

 

 人間は、空間を認識する能力があるけれどそれは完全ではない。なぜかというと、人間は瞬間的には写真のように一枚絵しか見ることができないからだ。一瞬一瞬において、人間は空間を認識してるわけではないのだ。ではどうしているかというと、時間をも認識していることによって、目に見えるモノの移り変わりを処理した結果、立体物として認識し、空間を感じているのである。

 フッサールが現象学で唱えていることを言うと、私たちは、例えばおうちを正面から見るときに、それが立体だと分かっている。しかし正面からみたおうちは平面である。なぜ平面にしか見えないおうちが立体だと分かるかというと、それを側面から見た(経験あるいは確信)ことから立体と判断するからだ(現象学の言葉でいうと、側面から見ている自分を『他我』という)。こういうふうにして、私たちは過去の経験や時間の流れから物事を処理し、目に映る世界を分析している。人間が立体を再現できるのは時間と空間の認識があってのことである。

 

 彫刻は、そういう常に平面にしか見えていないはずの人間の知覚を意匠をもって塊に置き換える作業だ。三次元にあるものを三次元で作るのは単なる模倣でないか、と思う人もいるかもしれない。でも、一度でも彫塑をやったことがあるのなら、これが翻訳的な作業であることを痛感するだろう。なかなか自然はまねしづらいのである。

 

 絵画にいたっては、空間を作り出すための絵画独特のルールがある。描き方というやつだ。三次元のものを二次元に置き換えて、立体的に見せたり、その他効果的に見せたりするには、三次元空間とはまったく異なるさまざまな理屈が生まれてくる。それは人間の認識に根拠をもつ置き換えなのだ(つまり想像力)。

 

 以上が、最も根底にある美術に関わる想像力についての話である。

 

2 空想や理想など

 

 これは、想像と聞いてまず思い浮かぶものだと思う。

 古今東西の美術のモチーフはこうした想像力によって生み出されてきた。卑近な写実・記録的な作品は近代になるまで地域を選ばず主要な地位にはなかった(そして写真の登場によりその機会も失われた)。

 美術は空想・理想を投影するのに向いているツールと言える(写真家も『写真は嘘をつく』とは言うが、嘘は美術が十八番)。

 18~19世紀にフランスで勢力を誇った新古典主義も、そういった美術に向いた特性を生かしたムーブメントだった。ダヴィッドは、あり得なかったシーンをたくさん描いている。もちろん全ての宗教画や歴史画はあり得ない想像を許容しているが、彼の作品はなんというか振り切っている。

 

 

 ダヴィッドは権力者にへつらい、自分の思想すら曲げてしまうという、まあ出世するタイプではあった(実際フランス美術界のボスであった)。ナポレオンの騎馬像はそれが可能にさせた構図だが(50年ほどのちに、ドラッシュが比較的史実に近い姿でアルプス越えのナポレオンの姿を描いている)、いずれにせよこの作品は名画として歴史に輝いている。

 

 新古典主義は古代ギリシャ芸術への回帰だった。歴史的には、伝説の古代があり、それがすたれて、長い年月を経てルネサンスで復活した。そのルネサンスの精神も退廃してチャラチャラしてきた今日このごろ、もう一度硬派なギリシャだ! といってはじまったのがフランスでのこれだった。

 現在、ルネサンスが栄光の時代として振り返られている一方、フランスの新古典主義が何だかワルモノみたいに描かれがちなのはなんでかな、と考えるに、おそらく、歴史的タイミングとしてルネサンスが中世の閉塞感を打ち破ったというターニングポイントな上に、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなど人間じゃない連中が現れた幸運に恵まれた豊かな時代であった、のに対し、フランス新古典主義は権力を持ちすぎた上にロマン派・印象派に敗北したからかな。歴史は常に権力者と敗者には冷たいのだ。まあ、新古典主義の唯一の天才アングルひとりでルネサンスの巨人全員と戦えというのも酷な話。しかもアングルは新古典主義好きじゃなくて、しがらみでやってただけだからね……(そんな彼をボスにしたアカデミーもクレージーだよね)。

 でも、新古典主義(アカデミー)のみんなは絵の善し悪しはともかく、「西洋美術史」という学問体系を成立させたりと後世への功績はでかいのでいじめないであげて。映画とかで悪役にしないであげて。

 

 ところで……とくに現代において、美術に対する想像力のウェイトは増しているように感じる。むかしのように高い技術によることが前提ではなく、いったい何をなしえるか、まだ誰も見ていない何を見せてくれるか、それが大事になっているように思う。このこと自体は、私はいいこととも悪いこととも思っていない。時代というのはいつも前提で、ある程度は理由があって必然的に今こういうことになっている。

 (どうしてこうなったんだ……ももちろんある。一例に『やる夫で学ぶ第一次大戦』(https://www.nicovideo.jp/watch/sm23942533)などを参照)

 

 

 

 デュシャン以降、美術家はたいへんな苦役を強いられているように思える。デュシャンは西洋美術そのものを含めてジョークでしかないと言ってしまっていて、しかも皆がそのジョークをありがたがっているのだから。

 そんな現代において、美術家は何をなしえるのか? 特に西洋美術を専攻している者はどうすべきか? デュシャンの呪いを解いて進むべきなのか? それとも過去の遺産を拾い、磨き上げるべきなのか?

 何が望ましい道で、何が正解かと思われるかは、ここでは書かない。このブログは辞典で、思想書ではないから(逃げ)。

 

 しかし、想像力として3番を付け加えるとすると、

 

3 人の想像力は限界づけられている。

 

 これは、個人の能力とか、頭の良さとか、ひらめけるかどうかとか、そういう以前の次元の話題と思ってほしい。それでいて、この問題は個人個人に関わってきている。これから話そう。

 

 人は、その知識、体験にあるもの、あるいはそこから連想しうるものごと以外は想像しえない。

 

 ヴィトゲンシュタインが「言語の限界が世界の限界」と言ったのはこういうことで、その人に語れない(想像できない)世界は、その人にとってないも同じである。

 私は線形代数がまったくわからないので、私にとって線形代数の世界は欠落している。それを知っていれば語れ、考えられ、開ける世界は私にはない。ゆえに、私は限定的な世界、想像力のもと、生きるしかないのである。勉強しろとは言わないでほしい。つらい。

 

 想像力の限定の例を挙げると、柳田国男が「山の人生」で農民の報告を上げている。柳田は日本の民俗学・伝承・口伝を学術的に研究しようとした最初の学者の一人だった。当時やもっと昔は、日本は山と里に別れ、山は人の入ることのない異世界だった。しかしたまに、山に誘われるように迷い込む者もあった。そうして気がついたらいなくなった者たちを、皆は「神隠し」と呼んだのである。柳田はフィールドワークにおいて「神隠し」(行方不明)から帰ってきたものたちの証言を聞き、その異世界において見聞したものを聞き出した。異形のものを見ただの、なんだの言ったようであるが、詳しくは引用する。

 

 

「どこだか知らぬ高い山の上から、海が見えた里が見えたの類いの、漠然たる話ばかり多い。ところがこれとは正反対にごくわずかな例外として、むやみに詳しく見てきた世界を語る者がある。江戸で有名な近世の記録は、『神童寅吉物語』、神界にあって高山嘉津間と呼ばれた少年の話である。これ以外にも平田派の神道家が、最も敬虔なる態度をもって筆記した神隠しの談がいくつかあるが記録の精確なるために、いよいよ談話の不精確なことがよく分かる。各地各時代の神隠しの少年が、見てきたと説くところには、何一つとして一致した点がない。つまりはただその少年の知識経験と、貧しい想像力との範囲より、少しでも外へは出ていなかったのである。

 (中略)

 江戸の高山嘉津間、和歌山の島田幸安等の行末はどうであったか。今なら尋ねて見たらまだ消息が知れぬかもしれぬ。もし彼らの行者生活が長く続いていたとすれば、これらの覚書類は時の進むとともに、幾たびかその価値を変化しているはずである。少なくとも口で我々にあんなことを説いて聞かせても、もう今日では耳を傾ける者はあるまい。故に書物になって残っているというだけで、特段にこれを尊重すべき理由はない道理である。」

(「遠野物語・山の人生」柳田国男 岩波文庫)

 

 

 柳田は、本人たちが聞いてないのをいいことにずいぶん残酷な言い方をするけど……そういうことなんだろう。

 「おばけなんてないさ」のとおり、人は自分の想像力の中でしかおばけを見いだせない。だからおばけは人のつくったものだ(東西のおばけの差を見よ)。

 美術家の仕事は、おばけを作ることに似ている。ただ、民俗は得体が知れず、畏怖を感じさせることに収斂していったが、美術家はともあれ人の心にポジティブに訴えるおばけを作るのが正道とはいえよう。

 

 

 もっとも高価な顔料として天然ウルトラマリンがよく知られている。これはラピスラズリという貴石を粉砕するという贅沢なものだけれど、ウルトラマリンは単一の化学元素ではなく、また原石には不純物が多い。なので精製には技術が必要である。

 西洋でウルトラマリンの精製技術がもっとも高かった時代は中世であった。ジオットなどの活躍していた頃には高彩度の精製が行われており、それは残されている作品からも確認できる。

 

 昔、あるお方が私に「フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』のターバンの青が淡いのはギルドの精製技術が落ちてウルトラマリンの彩度が下がったからだ」とおっしゃっていたが、私はこの説自体は信用してない。フェルメールの青は確かに全体的に淡くちだが、それでも高彩度の青が認められる作品はある。フェルメールの絵からは青色顔料はウルトラマリン、スマルト、アズライト、インディゴが検出されており、強い青はウルトラマリンからとしか考えられないからだ。

 とはいえ、中世から近世にかけてギルドの技術継承に疑問符が付き始めるのも事実ではある。中世末期にかけて、ギルドは衰退を始めるのだ。

 

 ギルドはもともと排他的な同業組合であって、自由競争もさせないしギルド内の序列も厳格だった。そういう窮屈なやり方をしていたので、徒弟に技術は教えるけどむしろ経済の流れは止めていたという側面もあったりした。しかし十字軍ののち若干にヨーロッパの交易範囲が広がり活発になることによって、世の中的に商業の流れが早くなり、どこが困ったかというと、これがギルドではなくまずは荘園である。畑を仕切っていた貴族たちはもう麦だけじゃやってられず貨幣が欲しい、時代はカネだ、と方向を転じた。これは結果的に農民の地位を向上させ、富農が生まれ始めた。

 すると、ギルドで親方になれなかった職人たち(ポスドクみたいな人たちがいっぱいいた)が「ギルドなんてやってられるか!」とこぞって農村に流れ出てそこで半農半工をし出した。この辺りから、ギルドシステムは時代の流れに合わなくなってくる。

 

 このような組合は技術をよその人に教えないので、後継者に断絶があると簡単にロストテクノロジーになったりする。近代になるまで、西洋の技術者は何かエポックな発見をしても人に教えなかったのである(金儲けの武器になるから)。知を共有して積み重ねていこうという発想はまだなかった。というか、今の意味合いでいう「歴史」という感覚自体が最近になって固まったものだし、数百年、数千年に同一性を持つ物語の元に生きるというのは近代的な考え方なのだ。

 なので、今はもちろんジオットの頃のウルトラマリンの作り方を精確に再現はできないし、おそらくフェルメールの頃もある程度メチエは失われていたと思われる。特にフェルメールの生きた時代には三十年戦争というひどい戦いもあったし、社会は混乱していたので喪失されたものは多かった。

 

 ときに人工ウルトラマリンの発明時も、極秘ごっこの言い合いになった。1824年にフランスで「天然はいくら何でも高すぎるから、人工生産を発明した人に6000フランの懸賞金をつけます」と言われてから、「俺は数年前に開発していたが極秘にしていた」「俺も作り方を知っていたが極秘にしていた」と言う奴が湧いて湧いて揉めまくった。結局28年にJ.B.ギメ氏の製法に対して懸賞金は送られた。200年前でこれなのである。でも粉ひとつで大騒ぎできるのが人間のいいところだよね。

 生のリンシードオイルを(ポピーでもなんでも油ならよい)、水を入れた水槽などに薄く張り、埃が入らないように蓋をしといて、毎日かき混ぜながら太陽に晒して作るオイルである。日光による漂白と、水による洗浄によって油が綺麗になるほか、自然にある程度乾燥するので生の油より乾きが早くなる。紫外線が強まる五月~夏季にやると早く仕上がる。作るとき、放置していると皮膜ができてしまうので毎日かき混ぜるのは忘れないよう気をつけなければならない。蜂蜜のようにどろっとなるまで濃縮すれば完成だが、好みで早めに引き上げてもいい。

 

 サンシックンドオイルはもっとも伝統的な加工油で、現在も多くの画家が自作しており、各人の創意工夫が聞かれる。エアーポンプを仕込んでいればかき混ぜる手間が省ける、というものなどである。これは有名な手で、私も試してみたが、あまりに早く油が空気を含んで濃縮してしまい、若干日晒し期間が不足してしまうのを感じた。

 

 その他、少量を作るときはペットボトルに入れておけば混ぜるときは振り回すだけでよくて手軽、だの、水にアクアリウム用のバクテリア石を入れておけば雑菌臭くならない(サンシックンドオイルは水槽を長期間野ざらしするのでどうしても臭いが出る)、だのの工夫がある。この二つは私が自分流にやったことなので、うかつに信用しないでほしい。

 

 オイルが十分濃縮したと思ったら、おたまなどで掬い、ビンに移して保存する。もしくは、安全を期すならオイルをいったん鍋などに入れて加熱してからの方がよい。

 というのは、サンシックンドオイルは長期間水と混ぜさせられていたので、若干の水分を含んでいるのである。水と油、などという慣用句もあるが、このこたちは意外に混ざる。これは振動エネルギーによるものである。

 その水分が含まれたままビン詰めされた場合、稀にではあるが中で水が蒸発して破裂する危険がある。そのため一度加熱して水分を飛ばして安全性を高める。市販されているサンシックンドオイルが茶色いのはこのためで、事故を起こさないため煮ているからだ。自作したオイルはそのままだと明るい色である。

 まあ、破裂は滅多に起こらないし、水分を含んでいるからこその利点もある。テンペラなどに油を添加する場合、こういう水分を含んでる油は水と親和性が高いので、混ぜやすく使いやすい。また明るいサンシックンドオイルは自作ならではのものだ。自分で釣った川魚を自己責任で刺身で食うようなもの……なのかな。

 

 ボイルする場合は130℃ないし150℃で数時間煮る。昔はもっと高温で煮ていたようだが、そうすると油が暗くなると思う。いずれにせよ乾燥はより早くなる。

 また煮るときにマンガン、鉛、コバルトなどの乾燥促進剤になる金属を入れたり、管か何かで息をふーふー吹き込んだりすると更に乾燥が早いオイルになるらしい。これは私はやったことないので、伝聞である。

 

 ちなみに晒したのちボイルした油はラングレは伝統的な方法として肯定しているが、デルナーは市販のものに限ってはボイル油は絵画に用いるべきではないと言っている。

 またラングレ「油彩画の技術」では、油を煮るときににんにくを入れると温度や煮え加減が分かるから絶対に入れろ、というパチェコの処方を紹介している。にんにくは昔の文献にはしばしば登場するが、その万能ぶりに涙させられる。塗れだの搾りいれろだの……本気か?

 

 サンシックンドオイルの使い方としては、生のオイルよりも濃いので、中層~仕上げで使うのが普通だと思われる。極端に希釈するか、あるいはかなり早い段階で引き上げた油だったら、描き始めから生の油と同等に使っても大丈夫だろう。特性を活かすのであれば、ツヤがあり、なめらかなエマイユ(釉薬)状の絵肌を作るのに向いている。煮てない状態だと前述の通り水分を含んでいるので、緊密な乾燥状態を作るなら樹脂を少量添加したほうがいい。にんにくとの併用は寡聞にして聞かない。情報を求めている。