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てきとーな美術辞典

辞典とか言ってるけどよく調べないで適当に主観で書いてますので信用しないで、気になったら他の文献も当たってください。ネットの情報をうのみにしてはいけない(戒め)

 マスチックは、主に油絵に用いるワニス用の樹脂である。ピスタシアの木から取れる。これはピスタチオの一種である(正確にはピスタシアの中のひとつがピスタチオである。ピスタチオからもマスチックは取れる)。(余談だがテレピンもテレピンの木とかいう、ピスタシアから取れるらしい)

 

 樹脂というのはもともとは木に傷がついたら、それを塞ぐ目的で滲み出てくる傷薬のような分泌液であった(人間の傷に血が出てくる時と同じ役目を果たす)。しかし人類にとって非常に役立つ性質を持っているので、マスチックに限らず有用な樹脂は昔から世界各地で広く使われていた。採取方法は木の樹皮に切り傷をたくさん入れて、溢れ出る樹脂を取るという非常に残酷な方法である。こうやって木に切り目を入れることをタッピングという。樹脂のうち採れたてで揮発性油分を含んでいるものをバルサム、乾いて固形になったものが狭義の意味での樹脂となる。

 

 

 マスチックは涙粒ほどの塊状で、画用の品質に耐えられる産地がギリシャのキオス島に限られている上に木一本当たりからの産出量が少ない。ほぼ同じ使われ方をするダンマル樹脂と比較すると、ダンマルの木一本当たり年収量は40kg以上、マスチックは300~400g程度(デルナーは5kgと言ってるが、そうだとしても少ない)。なので、マスチックはかなり高価である。樹脂としての評価はダンマルと同じか少し劣る。使い心地の問題は好みがあるだろうが、湿気に弱く白濁するという弱点があるので、日本の環境には不向きかもしれない。

 噛むと甘い香りがすると言われている。私も食べたことはあるが、よく分からなかった。古代ギリシャ時代にはチューインガムとして使用され、ほか歴史的に各地でお香として焚かれたり、歯の詰め物にされたり、包帯の接着剤として使われた。

 

 画用での使用方法はほぼダンマルと同じである。通常はテレピンに溶かしてワニスとする。ペトロールには溶けない。テレピンを入れた瓶に、マスチックをガーゼかストッキングで包み吊るし入れる。配分はデルナーによるとテレピン:マスチックが3~4:1で、エマルジョンや溶材を作る場合は2:1と濃い目にするという。

 普通は油と調合して用いる。樹脂だけで描いた場合非常に脆くなる。

 マスチックのテレピン溶液にリンシードオイルを加えて混ぜると溶液が固まって、ぷよぷよしてくる。この独特のゼリー状のメディウムを「メギルプ」といい、絵の具の伸びが良くなり、つるつるした絵肌が作れるので昔かなり流行った。メギルプの名では売ってないが、簡単に自作できる。またルフラン ・ブルジョアの「フレミッシュメディウム」が組成的にほぼ同等。メギルプの処方は例えば乾性油:マスチック:テレピンを3:1:3だが、人によっててんでバラバラである。

 メギルプは放っておくとぷよぷよしていて、触っているとどろどろしてくる。放置するとぷよぷよに戻る。これはメギルプが高分子ゲル(物理ゲル)の特性を持つからであって、たぶん油と樹脂の分子が水素結合を起こしている。水素結合とは、電気的にはちょっとマイナスな水素原子とかが他の分子を静電気に似た力で引っ張ってくっつく力で、ファンデルワールス力の10倍くらい強い(すごそう)。

 

 なおメギルプは耐久性に乏しく、経年により黄変や亀裂などの事故が報告されている。

 完成ニス(画面のコーティング)にも使用できると長年言われていたが、カナダ修復保存学会の会議において適さない材料であると結論された。ひび、黄変のほか、経年変化によるワニスの張り替えに必要な可溶性がなくなっていき、落とせなくなる。現在は天然樹脂で使用可とされているのはダンマルのみで、人工の樹脂が上位互換品となってその地位を占めている。

 それでも19世紀になってダンマルが普及するまでは、天然樹脂の中ではかなりの重要な位置を占めていた。9ー15世紀において西洋で最も使用された絵画用ワニスは、このマスチックをリンシードオイルに溶かしたものであった。ただし、しばしばサンダラックが混ぜられた。サンダラックは同じく天然樹脂だが、非常に脆く黒ずむので、現在は絵画用にはほとんど流通してない。カリグラフィー用の樹脂としては今も使われている。

 

 

 総論として、それなりに優秀な樹脂であり、描き味とつやの品がいいので今も根強いファンは多い。しかし性能でダンマルに競り負け、科学の進歩で優秀な合成樹脂が登場してきて活躍する場面がちょっと少なくなっている。無駄に高いのも敬遠される理由にあるかもしれない。しかし、画材は性能が全てではなく、愛される理由があるのならば、致命的な要因さえなければ淘汰されないのである。

 

 

 接着剤、展色材。動物の皮などからコラーゲンを抽出して、ゼラチンを煮出したもの。膠の主成分はゼラチンである。生産方法が手工業的か、工場機械生産かで和膠、洋膠と呼び分ける。しかしこれはいい加減な呼び方であり、伝統的な製法はユーラシア大陸から北アフリカまで分布している。

 

 

 

 

 ゼラチンは一般には伝統的に接着剤としてのほか医薬品などとして使われてきた。日本では明治維新以降、食用としての文化が入ってきている。膠とゼラチンはある程度までは互いに区別はつかず、純度の問題に過ぎないと「絵画材料辞典」にはある。

 膠は墨、日本画の絵の具、西洋画の一部の技術に使われる。ゼラチンは動物の骨、皮、腱、腸などわりとどこからでも取れるが、書画に用いられるのはほぼ皮から取られたものである。(ただしデルナーは『今日ふつう取り扱われている動物性膠は、皮膠と骨膠の混合物』としている。1981年の資料である)

 強力な接着作用があるので少量でもよくくっつくが、乾燥するとき収縮するので、あまり濃すぎると塗った紙を破ったり、板を反らせたりする。また、接着作用のほか界面活性作用があるので、膠液状態で油性のものを添加することができる。このためエマルジョン(マヨネーズ状態)地塗り材の溶液にされることが多いが、普通は卵の黄身を足して界面活性作用を補強する。

 

 膠の使用は5000年以上前から、ユーラシア北方中央あたりで始まったらしい。またプリニウスによると古代エジプトで使用されていた絵具の展色材は、ガム、牛乳、卵、ろうなどで、それに加えて膠も挙げている。旧約聖書にも膠は登場するようだ。西洋において膠が産業的に生産され始めたのは1690年にオランダで行われていたのが確認できる。

 日本においてはその生産は被差別部落が担っていた。昭和前半期には技術が絶頂に達し、非常に質の良い高級品も作っていたようだが、時代の波の中でそういう高級品を作る余裕はなくなってしまったようだ。しかし手仕事で作業をする職人や美術家にとっては、ある程度不純物のあるものの方がむしろ吸湿性、保水性があり都合が良かったようである。ちなみに高級品膠はマッチ業者に需要があったもので、ライターの普及で打撃を受けた。不純物とは油脂、ナトリウム、カリウム、リンなどである。この辺りの事情は森田恒之の論文「膠の文化」に詳しい。http://www.blhrri.org/old/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0154-04.pdf

 

 洋膠と和膠の中にもまた色々と種類があり、目的や状況によって選び分ける。

 和膠で、日本画用に主に使われるのは三千本と呼ばれる、牛の皮より取りたるものである。煮出した膠を網の上に広げて乾かし板状にして、細く棒状に切る。店頭にはこの棒状のものが束になって売っている。一頭の牛から三千本取れるというから三千本というらしい。使うときは、必要分をペンチなどで折って使う。現在は少量の防腐剤(フェノール)が添加されている。膠液は低温だと寒天状に固まるが、三千本の膠液はやや固まりにくい。

 

 鹿膠というものもあり、日本画用だが、これはとてもわかりづらい。まず、鹿の膠ではなく牛膠である。そして洋膠である。かなり多めの防腐剤と湿潤剤を添加している。接着力は非常に強く、腐りにくい。キューブ状のものとゼリー状のものが市販されている。高級品とされているが、鹿が高級というのは世界中に広まってる伝説という可能性もある(チベットでも鹿の膠が最高と言われているが、チベットには鹿がいない)。また添加物が多いので影響を心配する声がある。実際に影響が出たという話はあまり聞かない。何かあるとしてあと500年くらい待つだろうか。ラングレはフェノールの添加は保存には関係ないとしている。

 

 洋画で基本的に使われるのは兎膠である。これは砂状になっていて、工業生産される(洋膠)。トタン膠とか、グルー(膠の意味)とか呼んだりもする。兎の皮から作られる。強力な接着力があり、支持体の地塗りや絶縁(サイズ)層などに用いられる。膠で絵を描いた場合の技法は「にかわテンペラ」「泥絵具」「デトランプ」などと呼ばれるが、文献にも積極的に記述されてない。ネットで「デトランプ」と検索してみてもなんかのパイ生地ばかり出てくる始末である。10世紀頃の手稿本、テオフィルスの『さまざまな技法について』には膠の使用について色々と書いてあるらしい。ともあれ、地塗り、絶縁に関してはいまだに揺るぎない地位を持ち続けている。

 

 そのほか、店頭には簡単に使える液状膠などが売っている。これは初心者やめんどくさがりさんのためのものだ。好きな時に希釈してすぐ使える。防腐剤がたくさん入っているので腐らない。

 また、私は見たことないが、魚膠というものもあるらしい。「にべ」という魚などから取る。三千本より接着力が強く、扱いやすく、腐敗しにくい。日本では流行らなかった。ロシアのイコンなどに使われていたらしい。

 

 膠の用い方だが、まず水にとかさなければならない。

 分量は、デルナーは重量比で四倍の水と言っているが、それでは濃すぎるのでは? と思う。何に使うのだ? 彼はその膠液の用途は書いてない。ラングレは10gの膠に100gの水で中くらいの濃さと言ってる。

 通常、キャンバスや板の絶縁層や、地塗り材のための膠液とするなら、兎膠を用いた上で膠:水は2:8ほどで良い。濃すぎると表面に膠が浮き出る。ただし、薄すぎても絶縁層を貫通してしまうので適正な濃さが必要である。

 (ちなみに、絶縁はジェルメディウムで代用することもできる)

 日本画の場合も同じく水と膠を適切な分量で処方していく。日本画の方たちは「三千本一本に対して水100cc」という言い方をする。

 

 膠は水につけておいて、一晩放っておく。そうしておけば、水を吸って膨潤する。翌日に、湯煎して溶かす。直火にはかけない。

 この時、膠の温度が60度を決して超えることがあってはいけない。膠はゼラチンつまりタンパク質なので、60度を超えたあたりから熱変性を起こし、接着力が急激に弱まる。これは不可逆的な変化であり、取り返しがつかない。一度ゆで卵になった生卵は、もう二度と生卵に戻ることはできないのと全く一緒なのである。

 

とけきった膠液はコロイド溶液である。水分中に超細かい膠の粒(分子)が均等に散っている状態となる。こういう状態にあるものを分散といい、これについての解説は項を改める。牛乳のような状態だと思ってもらえればいい。半透明の混濁した液体で、明るめの黄色をしていて、ややとろみがあり、独特の膠臭がする。

 

 

 何度も煮直すと膠は弱くなってしまうので、その日か、数日以内に使い切る分量だけ作り、使っている間は温めておき、使わないときは冷蔵保存する。使用中温める必要があるのは、膠液は温度が高まるほどゆるくなり、低くなるとゼリーのように固まってしまうからだ。これはコロイド溶液の特徴で、ゼリー状になったコロイドをゲルという。豆腐、ところてんもゲルである。

 しかしなんといっても大事なのは冷蔵保存を忘れないこと。膠はとても腐りやすく、うっかり常温放置していたら夏場は1日で腐敗することもある。腐敗した膠は恐ろしい臭いを発する。一言でいえば、動物の死臭である。こうなった膠は機能的にも劣化していて、また我々の知覚の上でも使用に耐えないので廃棄するしかない。

 その上でも膠は接着力があるので、排水溝にそのまま流してはいけない。下水管の中で固まり、詰まる事故が起こる可能性がある。大量に廃棄する場合は紙などに染み込ませて燃えるゴミとし、少量であれば、大量の水で希釈しながら洗い流す。

 

 しかしいずれにせよ、膠は扱うには少しだけハードルがある画材と言える。日本画は透明水彩やアクリルに比べ、さまざまな手間や方法が煩雑かつ複雑で、教わらないと難しい。西洋画にしても、膠を使う場面というのは、支持体の地塗りから自分でやる場合である。書でも膠を磨り下ろして膠分ブーストさせることはあるが、これは上級者のやることなので真似しないように。

 だから、普通に水彩や油絵をただ描く、というのに比べると、ちょっと難しい所に入り込む、という感はある。やってみれば、そんなに取り扱いの難しい画材では決してない。ただ、水で溶かせばいいだけの絵の具、描けばいいだけのキャンバスから一歩踏み込まねばならないこと、溶液そのものを自作すること、それは今までにない手間を感じることになると同時に、絵の成り立ちの深淵を覗くきっかけの最初の一歩たりうる……そういう幾つかの意味において、絵画をやる方にとってはある種のボーダーとも言える画材なのかもしれない。

 

 

 炭素顔料を練り固めた画材。現在流通しているのは松の煤を用いた松煙墨と、油の煤を用いた油煙墨、また工業用のカーボンブラックも廉価なものに使われている。中国で発明され、発展したので歴史的に東洋世界で書画に使用されていた。西洋では近代になってからChinese Inkの名で、主にデッサンに使われていたというが、硯については使われた痕跡がほとんど発見できない。大理石や象牙で擦り下ろしていたらしい。

 森田恒之「画材の博物誌」によると18世紀末のイギリスではインド経由で輸入された墨が一個6ペンスから5シリング、今の感覚でいうと数千円から十数万円というから、パチモノも相当出回ったようだ。

 1980年になって本田宗一郎がシャガールを訪ね、お土産に墨や硯を持っていったところ大変珍しがり、それを持ってアトリエに引きこもったまま客の本田をほったらかしにしたという逸話もある。こうして考えると一時のオリエンタリズムで流行したが、やがて忘れられてしまい定着しなかったのだろう。

 

 墨の使用は画より書に歴史と、奥行きがあるように思われる。書をやられている方は「墨を育てる」とか「硯を育てる」「病人に擦らせろ」とか言い出すので、しろうとの私にはよく分からないのだが、それにしても墨の歴史は古く、原型は中国でほぼ字の発生と同時におこっている。およそ紀元前1500、亀甲や獣骨に彫り込んだ文字に木炭汁を流し込み、焼き付けたのが墨の起源と言われる。これはただの汁だったので、乾燥すると粉になり、定着しなかった。しばらくして、漆をのり材にして練り、竹や小枝を尖らせたもので書くようになった。

 春秋戦国時代には筆ができる。この頃諸子が竹簡に書を連ねるのに用いたのは木炭などの炭素墨であった。

 

 秦代には素材は黒鉛に変わり、また中華統一によって文字も一本化されて情報伝達が加速し、墨、筆の需要が高まった。黒鉛の墨の使い方は、いったん削り下ろした黒鉛を、水と漆で溶いてから用いる。

 漢になってようやく、水にするだけで使える今の墨に近い形のものが出現した。これは黒鉛の粉末に漆を加え、小粒に丸めて乾燥させたものである。

 後漢に紙の発明と字の普及により墨の需要が高まり、一気に煤を取る方法を発見し松煙墨が発明される。製法は後述。

 墨の製法は技術的には3世紀頃(三国時代)には基礎付けられたと考えられている。ただし油煙墨が発明・量産されるのは明になってからのことだ。ちなみに宋の時代に、今は使用を聞かないが「石油を燃やした煤を採って墨を作った」という記録も残っている。

 

 日本には610年に伝来したと「日本書紀」にはある。水墨画が成立する背景は鎌倉室町以後に、滲みが出やすい油煙墨が普及した事による。

 また戦前までは「削墨」もしくは「掃墨」と呼ばれたインスタント墨があったという。廉価な墨を鉋で削り節にして、袋詰めにして売っていたらしい。これは水と混ぜるだけで墨液になった。便利なので様々な場、用途に使われていたが、墨汁の登場で駆逐された。

 

 

 

 油煙墨と松煙墨はその製法が異なる。

 油煙墨は名の通り油を燃やした煤を用いるが、使う油は主にナタネ、ほかキリ、ゴマなどがある。いずれも器に入れて芯に火を灯し、直上に皿をセットして煤を受けさせる。皿に煤がついたら、刷毛で落として回収する。

 

 松煙墨の場合、松の樹を伐ってくる。まず皮をとり、干して、松脂が吹いてきたのを削り取り、さらに小割りにする。

 そしてこちらの場合は、部屋の中で松を燃やして、部屋一面に煤をつけさせて、壁、天井、床、全てから煤を集める。

 

 この二種類の墨でだいたいの特性が分かれるが、それは煤の粒子の差による。

 油煙墨の煤は、常に火に当たっていることから焼き締められており、硬い。また粒度が揃っている。同じ大きさで、かつ小さい。

 対する松煙墨は、煤の大きさがまちまちで、柔らかい。その中でも粒度が比較的小さいと赤、茶系統の色味になり、大きいと青くなる。色を決めるのは粒子の大きさである。

 

 墨が漆で練られていたのは古代の話であり、今は膠を用いる。また、すり下ろす時にリラックスする匂いが立ち、すり終わり、書き始める時に戦意を奮い立たせるために重い匂いを立たせるために香料が混ぜられている(膠の匂を誤魔化すためでもある)。使われるのは竜脳、麝香、龍涎香など。合成香料が使われることもある。

 膠液の中では煤は凝集を起こしやすい。今は機械練りだが、清の墨職人などは煤と膠を混ぜながら3万回以上杵でついたという。これは中国は水が硬水で膠を分散させるのが大変だったという事情もあるが。しかしそういう努力もあり、清代の墨は古墨の中でも名墨として評価が高い(だけど硯がよくないと擦れない)。書道の世界では、清の乾隆帝時代が頂点だったという人は多い。

 

 古墨が新墨と比べて珍重されるのは、新墨がまだ水分を含んでいて伸びが悪かったり発色が生々しかったりする短所が消え、にじみの調和が美しく出るからとされている。時間が経って古墨になる上で起こる変化は水分が抜けることだけではなく、膠が加水分解して変質することが挙げられる。

 加水分解とは、名前の通り水が加わって分解することで、しかし膠がお湯に溶けるレベルではなく、分子がバラバラになるレベルで解けるのである。

 例えば分子「なんか」に、水H2Oが加わって分解するとして

 

 なんか ➕ H2O → なんOH ➕ かH

 

 こんな例では多分よくわからないと思うので、実際にある具体例も提示しておくことにする。

 

 

 要するに、水分子が合体して自爆することで、一つの分子が二つに別れてべつの物質に変わってしまうという、おそろしい現象なのである。

 古墨になる過程で、膠にこれが起こる。実質的には煤の粒子どうしを結合させるので、にじみづらい傾向にはなるらしい。そこに生じる「むら」などが「味」として好まれるという。この粒子どうしの結合が進み、大きな粒子ができてくると色が青みを増してくることがある。この現象は「青墨化」と呼ばれる。

 

 

 画材としての墨は、耐久性は抜群によい。流体として支持体に浸透するので、繊維の中に炭素が食い込んで強固に固着する。よほど無茶な使用がないかぎり剥離、ひび割れなどはない。和紙(特に、昔の優秀なもの)に書かれたものは、保存状況が良ければ2000年以上保つという。

 練り合わせ材の膠は動物性のタンパク質なので湿気になどは気をつけるべきだが、墨の顔料である炭素は顔料のうち最も安定している。生物が基本構成要素に採用するレベル。ただし、同じ墨でもイカスミは画材としては適さない。このイカスミも、かつては特にコウイカのものが地中海沿岸で使われていた。18世紀中頃の話である。そのまま用いるか、乾燥させて粉末にして保存し、使う時に灰汁で似て戻し、希塩酸で中和して使った。

 このイカスミも強い褐色で使いやすく、好評を博し、水彩や素描用の定番の一つになっていた。しかしおよそ100年も経たぬうちに、光に対して耐久力がゼロであることが判明する。所詮は有機物である。またこのイカスミは周囲の酸性が高まると退色するという性質があり、劣化して酸性度が上がった紙が墨を退色させるという弊害も出た。とにもかくにも色褪せやすかった。なので19世紀後半には画材の世界から姿を消し、その名前だけが欠点の代名詞のように今に残るのみとなる。このコウイカのスミは「セピア」と呼ばれていたのだった。

 

 

 バーミリオン、辰砂などとも呼ばれる。賢者の石と呼ばれていたこともあるが、これは錬金術に重要であった元素のうち水銀と硫黄二つとも持っている硫化水銀によって組成される顔料だからである。

 

 鉱石として天然に産出し、中国とエジプトでは古代から使用されていた。殷時代の卜占に用いられた亀甲や獣骨から検出されている。漢の時代には画用や朱肉に用いられたようである。

 またこの顔料は化学的にわりあい作りやすく、中世の錬金術レベルの技術で合成可能だった。8-9世紀のアラビア人錬金術師ゲーバーが朱について化合物として記述している。15世紀イタリアにおいては、一般に流通していた朱は人工品のものだったらしい。

 

 ところで、人工の朱が天然の朱に劣っているかというと、そうでもなく、全く遜色がないという。これは顔料の面白いところだと思う。ウルトラマリンも、天然よりずっとコストの安い人工物の方が、逆に純度の高いものとなる。顔料は分子構造で発色が決まってくるので、化学が進歩すればするほど既製品を上回るものができるのである。

 

 日本画においては辰砂や本朱などは、粒の荒さによって番手が振られ、それぞれ色の見え方が変わる(細かい顔料ほど光の乱反射で白っぽく見える)が、油彩においては粒度はほぼ統一され、被覆力が大きい。何れにせよ比重がとても重く、耐久性が高い。

 ただ、光に対して若干弱さがあるようだ。強い日光に晒されていると黒変することがあるので、油彩において上層にローズマダーなどをグレーズするのは保護する意味あいも持っている(ローズマダーも光には弱いが)。

 

 乾燥においては、油では乾燥は悪い。日本画では乾燥はともかく、膠との馴染みが良くないので、絵皿で混ぜ合わせた後、火にかけて一度焼き付ける。流派によってはこの時洗ったりもする。日本画については詳しくないので、この辺の話は信用しないでください。

 混色には制限はほぼない。不純物がある場合鉛白を黒変させる恐れがあるが、最近の絵の具ではそういう事故はあまり起こらない。

 毒性がある。粉末で扱う場合は注意。

 

 トンプソンはバーミリオンの西洋美術史における貢献を褒め称えているが、デルナーはカドミウムレッドが発明された今やもう用済みの顔料みたいな冷たいことを言っている。カドミウム赤は朱より優れた耐久性、耐候性、混色における信頼があり、比較すれば若干安価で、洋画においては朱に代替されるものであるが、色味の好き嫌いや気分で朱を使うのもいいのではないかな。

 

 ブラックオイルは、基本的に乾燥の遅い油絵において、めずらしくきわめて乾きの早いオイルである。

 シルバーホワイト(鉛白)はもっとも伝統的な白色顔料の一つにして、その毒性によって大量の犠牲者を出した曰く付きの顔料だが、油絵においては乾燥促進剤としての作用も持っている。化学的には塩基性炭酸鉛といい、鉛化合物で、鉛は油の酸化を早める作用がある。つまり、乾性油の乾燥を早めるのである。

 

 このシルバーホワイトと乾性油を組み合わせ、乾燥性を高めた油がブラックオイルである。名前の通り、濃い焦げ茶色をした油となる。

 以前はクサカベから販売されていたようだが、現在店頭では見ない。自作はできる。ただし、シルバーホワイトを粉の状態で扱うのはその毒性のゆえ、おすすめしない。「そんなことしてたら死ぬよ」くらい言っておく。

 

 作成の方法は、リンシードオイルに対しシルバーホワイトを5%程度を添加し、ビーカーや鍋などに入れてまぜる。シルバーホワイトを粉で扱うのが怖い人は、絵の具の状態で入れてもかまわない(絵の具でも毒性には気をつけるべきではあるが)。まぜたら、火にかけて180℃くらいに熱する。このとき、底が焦げやすいので、できればセラミック金網をしいて、ひんぱんにかき混ぜるのがいい。天ぷら用温度計は用意しておくべきである。不用意に火にかけていると油は思ったより高温になり、突然火柱を上げる(実体験)。そういう事故にそなえ、ぬれ雑巾や消化器を用意した方がいい。火にかける時間は一時間半~二時間程度である。色はだんだんとコーヒー牛乳色からコーヒー色に変わっていく。

 できあがった後も顔料のカスみたいなものが沈殿しているので、瓶などに保存するとき、ガーゼやストッキングで漉すと不純物のない油がとれる。

 

 ブラックオイルは乾燥は猛烈に早い。薄塗りのグレーズに用いた場合など、翌日には加筆できる。ただし、煮た油独特のいやな脂っこさや、色の暗さから明色に使いづらいといった短所も持っている。

 

 あるお方が、かつての巨匠たちは乾燥の遅さの問題を解決するため、このブラックオイルを用いていた、と説いていた。私はこの説には懐疑的である。なぜなら、ブラックオイルはそもそもあまりに汚い油で、顔料のうつくしさを尊重した昔の人たちがそれを鈍らせる油を選択するとはとても思えないというのが一つ。もう一つに、色が綺麗で乾燥も早いサンシックンドという方法もすでにあったからである。ブラックオイルはおそらく、錬金術的方法によって必然的に発見されたとはいえ、その用途は習作に限られたのではないかと思っている。

 

 余談だが、シルバーホワイトは油と煮ることなしに、乾燥促進剤として作用する。絵の具の状態で他色に微量を混入するだけで、乾燥は幾分早まる。これは鉛化合物としてそういう性質を持っているからで、この特徴を拾ったシッカチーフブランという乾燥剤もある。液状で、無色透明、おだやかな乾燥作用がある。

 だが、とにかく繰り返し注意したいことには、シルバーホワイトは死人を出しまくってる顔料ということである。粉で取り扱うのであれば、自己責任で、そして他人が出入りする空間では粉で展開してはいけない! 水銀化合物やカドミウム化合物よりヤバイと、心して、できれば粉では扱わず、やむをえない場合はマスク手袋を着用するように。