炭素顔料を練り固めた画材。現在流通しているのは松の煤を用いた松煙墨と、油の煤を用いた油煙墨、また工業用のカーボンブラックも廉価なものに使われている。中国で発明され、発展したので歴史的に東洋世界で書画に使用されていた。西洋では近代になってからChinese Inkの名で、主にデッサンに使われていたというが、硯については使われた痕跡がほとんど発見できない。大理石や象牙で擦り下ろしていたらしい。
森田恒之「画材の博物誌」によると18世紀末のイギリスではインド経由で輸入された墨が一個6ペンスから5シリング、今の感覚でいうと数千円から十数万円というから、パチモノも相当出回ったようだ。
1980年になって本田宗一郎がシャガールを訪ね、お土産に墨や硯を持っていったところ大変珍しがり、それを持ってアトリエに引きこもったまま客の本田をほったらかしにしたという逸話もある。こうして考えると一時のオリエンタリズムで流行したが、やがて忘れられてしまい定着しなかったのだろう。
墨の使用は画より書に歴史と、奥行きがあるように思われる。書をやられている方は「墨を育てる」とか「硯を育てる」「病人に擦らせろ」とか言い出すので、しろうとの私にはよく分からないのだが、それにしても墨の歴史は古く、原型は中国でほぼ字の発生と同時におこっている。およそ紀元前1500、亀甲や獣骨に彫り込んだ文字に木炭汁を流し込み、焼き付けたのが墨の起源と言われる。これはただの汁だったので、乾燥すると粉になり、定着しなかった。しばらくして、漆をのり材にして練り、竹や小枝を尖らせたもので書くようになった。
春秋戦国時代には筆ができる。この頃諸子が竹簡に書を連ねるのに用いたのは木炭などの炭素墨であった。
秦代には素材は黒鉛に変わり、また中華統一によって文字も一本化されて情報伝達が加速し、墨、筆の需要が高まった。黒鉛の墨の使い方は、いったん削り下ろした黒鉛を、水と漆で溶いてから用いる。
漢になってようやく、水にするだけで使える今の墨に近い形のものが出現した。これは黒鉛の粉末に漆を加え、小粒に丸めて乾燥させたものである。
後漢に紙の発明と字の普及により墨の需要が高まり、一気に煤を取る方法を発見し松煙墨が発明される。製法は後述。
墨の製法は技術的には3世紀頃(三国時代)には基礎付けられたと考えられている。ただし油煙墨が発明・量産されるのは明になってからのことだ。ちなみに宋の時代に、今は使用を聞かないが「石油を燃やした煤を採って墨を作った」という記録も残っている。
日本には610年に伝来したと「日本書紀」にはある。水墨画が成立する背景は鎌倉室町以後に、滲みが出やすい油煙墨が普及した事による。
また戦前までは「削墨」もしくは「掃墨」と呼ばれたインスタント墨があったという。廉価な墨を鉋で削り節にして、袋詰めにして売っていたらしい。これは水と混ぜるだけで墨液になった。便利なので様々な場、用途に使われていたが、墨汁の登場で駆逐された。
油煙墨と松煙墨はその製法が異なる。
油煙墨は名の通り油を燃やした煤を用いるが、使う油は主にナタネ、ほかキリ、ゴマなどがある。いずれも器に入れて芯に火を灯し、直上に皿をセットして煤を受けさせる。皿に煤がついたら、刷毛で落として回収する。
松煙墨の場合、松の樹を伐ってくる。まず皮をとり、干して、松脂が吹いてきたのを削り取り、さらに小割りにする。
そしてこちらの場合は、部屋の中で松を燃やして、部屋一面に煤をつけさせて、壁、天井、床、全てから煤を集める。
この二種類の墨でだいたいの特性が分かれるが、それは煤の粒子の差による。
油煙墨の煤は、常に火に当たっていることから焼き締められており、硬い。また粒度が揃っている。同じ大きさで、かつ小さい。
対する松煙墨は、煤の大きさがまちまちで、柔らかい。その中でも粒度が比較的小さいと赤、茶系統の色味になり、大きいと青くなる。色を決めるのは粒子の大きさである。
墨が漆で練られていたのは古代の話であり、今は膠を用いる。また、すり下ろす時にリラックスする匂いが立ち、すり終わり、書き始める時に戦意を奮い立たせるために重い匂いを立たせるために香料が混ぜられている(膠の匂を誤魔化すためでもある)。使われるのは竜脳、麝香、龍涎香など。合成香料が使われることもある。
膠液の中では煤は凝集を起こしやすい。今は機械練りだが、清の墨職人などは煤と膠を混ぜながら3万回以上杵でついたという。これは中国は水が硬水で膠を分散させるのが大変だったという事情もあるが。しかしそういう努力もあり、清代の墨は古墨の中でも名墨として評価が高い(だけど硯がよくないと擦れない)。書道の世界では、清の乾隆帝時代が頂点だったという人は多い。
古墨が新墨と比べて珍重されるのは、新墨がまだ水分を含んでいて伸びが悪かったり発色が生々しかったりする短所が消え、にじみの調和が美しく出るからとされている。時間が経って古墨になる上で起こる変化は水分が抜けることだけではなく、膠が加水分解して変質することが挙げられる。
加水分解とは、名前の通り水が加わって分解することで、しかし膠がお湯に溶けるレベルではなく、分子がバラバラになるレベルで解けるのである。
例えば分子「なんか」に、水H2Oが加わって分解するとして
なんか ➕ H2O → なんOH ➕ かH
こんな例では多分よくわからないと思うので、実際にある具体例も提示しておくことにする。
要するに、水分子が合体して自爆することで、一つの分子が二つに別れてべつの物質に変わってしまうという、おそろしい現象なのである。
古墨になる過程で、膠にこれが起こる。実質的には煤の粒子どうしを結合させるので、にじみづらい傾向にはなるらしい。そこに生じる「むら」などが「味」として好まれるという。この粒子どうしの結合が進み、大きな粒子ができてくると色が青みを増してくることがある。この現象は「青墨化」と呼ばれる。
画材としての墨は、耐久性は抜群によい。流体として支持体に浸透するので、繊維の中に炭素が食い込んで強固に固着する。よほど無茶な使用がないかぎり剥離、ひび割れなどはない。和紙(特に、昔の優秀なもの)に書かれたものは、保存状況が良ければ2000年以上保つという。
練り合わせ材の膠は動物性のタンパク質なので湿気になどは気をつけるべきだが、墨の顔料である炭素は顔料のうち最も安定している。生物が基本構成要素に採用するレベル。ただし、同じ墨でもイカスミは画材としては適さない。このイカスミも、かつては特にコウイカのものが地中海沿岸で使われていた。18世紀中頃の話である。そのまま用いるか、乾燥させて粉末にして保存し、使う時に灰汁で似て戻し、希塩酸で中和して使った。
このイカスミも強い褐色で使いやすく、好評を博し、水彩や素描用の定番の一つになっていた。しかしおよそ100年も経たぬうちに、光に対して耐久力がゼロであることが判明する。所詮は有機物である。またこのイカスミは周囲の酸性が高まると退色するという性質があり、劣化して酸性度が上がった紙が墨を退色させるという弊害も出た。とにもかくにも色褪せやすかった。なので19世紀後半には画材の世界から姿を消し、その名前だけが欠点の代名詞のように今に残るのみとなる。このコウイカのスミは「セピア」と呼ばれていたのだった。
