発達障害の高1の鉄オタ男子と
女装する鉄道ファンの夫
スポーツと甘いものが大好きな娘
発達インストラクター母☆歩実の4人家族
個性的なメンバーが構成員の我が家 
楽しく読んでいただければと思います


こんにちは。
少し空いてしまいましたが
「WA!発信応援プロジェクト」テーマ投稿4
 

 

人生山あり谷あり。

誰の人生にも、波乱あり絶頂あり、

大波、小波乗り越えて、今があるのだと思います。

 

今日は、私の人生の山と谷のうち

1つ目の谷について書いていきます。

 
祖母の存在
 
私は、三世帯同居の7人家族で暮らしていました。
私が子どもの頃、
家で采配を振るっていたのは祖母。
 
祖父は、まだ外で働いていたこともあり、
親戚づきあいから、晩のおかずの献立まで
祖母の一言で決まるような家でした。
 
 
祖父が外で働き、
祖母が自宅兼店舗の商売を取り仕切っていた名残が
(私の物心ついた頃には閉店していました)
生活の中で、まだまだ感じられました。
 
 
祖母は、手先が器用で、頭の回転も早く
とにかく、何でも上手にできる人でした。
字も歌も、料理も人並み以上で
地域の冠婚葬祭や、お祭りがあれば、
お勝手(料理)の責任者として💪
重宝されていました。
 
「こんな田舎に、嫁に来させられた」とも
いつも嘆いていました。
 
確かに、
近所には字を読めないおばあちゃんもいたので
和裁、洋裁ができ、女学校まで出ていた
私の祖母は、あの田舎の同世代の中では
異質の存在だったと思います。
ちなみに私の祖父は小学校しか出ていません。
 
また、私の父は婿養子で
母は、祖母とは実の親子。
実の親子ということもあり、
祖母の君臨は続くのです。
 
優しいおばあちゃんが羨ましい
 
私は、いつも祖母の顔色を
見て過ごしていましたが
それでも、怒られてばかりでしたえーん
怒られるのも、
私からしたら理不尽な理由ばかりで
 
「図体ばかりでかくて、気が利かない」
「体つきだけ、女になっていやらしい子だ」
「笑うと不細工で、
 誰に似たのか…向こうの家に
 (父の実家)似たんだ」
 
祖母は美しい人でしたから、
私は言われても仕方がない
とずっと思っていました。
 
家族も多く、田舎ならではの家事や作業もあり
小さい頃から色々な手伝いをさせられました。
 
私が何か一生懸命やっていても
(読書、勉強、ピアノの練習も)
手伝いに呼ばれたら中断しないと怒られたし
 
妹は手伝わなくても怒られないのに
私ばかり、手伝いをさせられたのも
とても嫌で子ども時代は、
「私は大切にされていない子だ」と
思っていました。
 
私は、容姿が悪いと思い込んでいたので
(今は美人じゃないけど、なにか?照れと)
勉強ぐらいはきちんとできるようにと
頑張って勉強しても、
「手伝いをしないで勉強しても鉛筆
その程度なんて…しないほうがマシ」
と言われたり
 
今、思い返しても
自信がなくなるのが当たり前の
接し方をされたと思います泣くうさぎ
 
でも、私がなにか賞をとって
表彰されるようなことがあれば、
祖母は、ものすごく自慢していました💦
私は、それが嫌で嫌で、
祖母を喜ばすために、
頑張っているわけじゃないから
頑張るのをやめようか・・・とか
真剣に思っていたこともありました。
 
友だちの優しいおばあちゃんが
とても羨ましくて、
どうして、私のおばあさんは、
意地悪ばかり言うんだろうと
悲しい気持ちでしたショボーン
 
 
自分のことが嫌いな子供時代
 
私はいつも誰かに認められたくて、
そのために頑張る子になっていました。
 
いつも誰かと比べて、
自分の存在を確かめるような…。 
 
褒めてもらわないと
存在価値がないんじゃないか、
と不安に思いながら暮らしていました。
 
父は、祖母にはものが言えなかったし、
母も、祖母とは、親子だからこその遠慮のなさで
感情的になりすぎて(ただの喧嘩爆弾
子供を守るための話あいを
きちんとしてはくれませんでしたえーんガーン
 
 
テーマ4の振り返り
 
書いているうちに
子どもの頃の自分が
癒されているのを感じました飛び出すハート
楽しい話ではありませんが、
このテーマ4を書いてみて
 
小さい頃の「あゆみちゃん」に
「頑張っていたね
 お姉ちゃん、大変だったね」と
言ってあげられた気がしますキューン

 

書き連ねると祖母は、

ひどく性悪な性格に見えますが、

嫌いで、仕方がない時期もあったのですが、

そうでもない時期も長くて

私は、祖母を尊敬もしてます照れ

 

今日は、まとまりのない文章となりましたが、

ゴールを、

書くことでの癒しに変更しましたので

お許しください🙏

 

 お読みいただきありがとうございます🍀