シンクレス | 木馬の四方山ばなし

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趣味の話や日々の出来事を中心に何となく、自己満足のためにつづっていくブログです。

先日、職場の仲間と話していて話題になったのが、状況を読まない人、周りへの配慮が全くない人がけっこういるという話だ。

電車の扉付近で仲間と固まって突っ立っていて乗り降りする人の妨げになっているのに気づかない(気にしない?)人

同じく電車で、降りる人がいるのに真ん中から我先に乗り込んでくる人

自分のことばかりで周りの人への遠慮、感謝をまったくしない人。


仲間との会話での結論としては、こういう人は配慮していない、気づかない、のではなく、初めからそういうことを考えようともしないと言うことだ。


よいも悪いもないのだ。何も考えていないだけなんだろうなぁ。

海外駐在をしている仲間が言っていた。
海外に出ると日本人的常識は通用しないのは当然だが、そもそもの価値眼が違うので正しいか、正しくないかという考え方だと身体が保たないという。
だから、正しいか間違っているかという判断ではなく、
単に違うのだと考えることにしたそうだ。
たとえば公式には撤廃されたことになっているインドのカースト制だが人々の意識の中にははっきりと残っていて、日本的価値観からすると若造が差も当然のように年上の人に命令する姿には違和感を通り越して怒りすら覚えたという。
だが、宗教に根付いた価値観が根本的に違うのでどんなに議論してもそこに解はなく平行線のままだそうだ。


そこでそいつは
「究極のワークシェア」だと考えることにしたそうだ。実際問題、命令する側もされる側もそこに敵意があるわけではなく、当たり前のこととしてそうした態度をとっているのだと理解することにしたらしい。
まあ、現実には卑下したりする感情も間違いなく存在するらしいが、確かに門外漢としてはなにをできるわけもない。ワークシェアリングだと考えるというのは妥当かもしれない。

自分の価値観や常識、文化とは明らかに異質なものを当然なものとして生まれ育った人は世界中にいる。
文化が違えば常識が違うことなどは今時、誰もが知っていることだろう。

全体的な傾向としては日本人は感謝、謝罪をすることで周囲とのコミュニティの維持につとめるが、欧米や中国、韓国はとにかく自らの権利を主張し、戦うことでコミュニティのバランスを取っていると言われる。

ま、それはわかるんだけど、同じ日本人で有りながらあまりにも価値観が違うひとにはかなり困惑する。


周囲のひとから、変わってるねとか、自由人だねと言われたら、少なくともそれは日本人的価値観の中では褒められているわけではないことだけは理解しておいた方がいい。
もちろん、上述のインドの例ではないが、その日本人的価値観が必ずしも正しいとは限らないのは言うまでも無いのだが。

でもねぇ・・・・・ヽ(´ー`)ノ ハア