連休中に志賀方面へ出かけた際に小布施の街を少しだけぶらぶらした。
かつて毎週末、志賀高原へスキーをしに行っていた時代がある。上信越道が出来るよりも前の話だ。
長野オリンピックが開催されるよりも前の話でもある。
当時は関越を藤岡インターで降りたら、R254で西へ走り、下仁田の手前から妙義山を越えて松井田へ抜け、碓氷峠をこえて軽井沢へ入り、小諸へ。
そして小諸からは広域農道を走り、東御から地蔵峠を超えて、松代、須坂、小布施を通り、湯田中から志賀に上っていった。
仲間と合流してから片道6時間強の道のりだった。
今思うと良く通ったものだ。
若かったんだなぁ~。バキッ!!☆/(x_x)
まあ、それはともかく湯田中温泉に泊まる際に途中の小布施の街をぶらぶら歩きをしてみた。
いつも竹風堂の前を通ったし、このあたりが栗おこわや栗を使った和菓子で有名なことは知っていたがいつも通過するのは夜中、あるいは夜遅い時間のため立ち寄ったことはなかったのだ。
時間はあるので中心部から少し外れたところの駐車場にクルマを止めて当てもなく散策してみた。
すると
北斎館
というのがあった。
葛飾北斎という名前は知っているし、ごく一部の浮世絵は何となく見たことはある。しかし、ちゃんと見たことはないので興味本位で入ってみることにした。
中に入ると北斎の生涯をざっくりと紹介する映像が流れており、時代ごとの作品が展示してある。
どうやら晩年を小布施で過ごした関係でこうした美術館?があるようだ。
近くには高井鴻山記念館というものもあったのだが、この高井なる人物が言ってみればパトロン、タニマチとして北斎をもてなしたそうだ。
高井鴻山記念館
http://www.obusekanko.jp/enjoys/museum/obuse142.php
初期、中期の版画の緻密さにも圧倒されたが、驚いたのは
北斎漫画
と呼ばれる大量の毛筆画を見たときだ。
どこにでもある風景や人物、その他、ありとあらゆるものをスケッチしたようなものだが、この画風が手塚治虫の漫画にそっくりなのだ。
いや、実際は手塚治虫が北斎の絵を学んだというのが正しいのだろう。
手塚治虫に限らず、昭和の早い時期に漫画で身を立てた人の画風の原点を北斎漫画に見つけた気分だった。
実際に北斎の絵を見て直接的な影響を受けたかどうかはオイラの勝手な想像にしか過ぎないが、少なくとも北斎の流れをくむ作品に触れる機会はあったはずと思う方が自然だろう。
昭和初期の漫画家の画風には少なからず影響を与えているように感じた。
小布施に移り住んでからの祭りの山車に描いた絵もすごいがなんと言っても晩年の肉筆画には圧倒された。
200年も前にこんなすごい人がいたとは・・・・・
絵には造形もうんちくもこだわりもないオイラだが、素直に感動した。
まさに天才と言って良いのだろう。
東京にも北斎美術館があるようなので今度見に行こうと思う。
すみだ北斎美術館
でもすごい混んでいそうなので連休中はやめておこう。(苦笑)